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サブカル大蔵経100 杉作J太郎『恋と股間』(理論社)

 サブカルチャー界にこそ沙門がいる、と実感した本です。たぶん20年後くらいに中学生の教科書に掲載されると思います。それか、聖書か経典になるか。

 杉作さんは、ままならない苦しみの現実を歩む中で、偶像(アイドル)や虚構の世界に救われながら、現実を見通す視点や、欺瞞を剥ぎ取る言葉を放ち、流浪しながら法を説き続けてくれている気がします。杉作さんがキリストかブッダなら、吉田豪さんがパウロかアーナンダか?

 本書の至言を無理矢理仏教に寄せます。

恋愛は断られたところから始まる。え?と聞き返される瞬間。そこから、全てが始まるんです。なぜなら、拒絶するのが全女性の仕事だから。p.4

 女性の拒絶は〈如来〉そのものです。こちらの思い通りにならないことが目の前に来たる、現れる。それを〈真如が来る〉、〈如来〉といいます。それによってでしか人は目覚めることはできない。まさに、終わりではなく、はじまりであると。

男と女は、わかりあえなくていい。理解も共感も必要ない。でも、思いやろう。お互いに思いやる。わかんなくても思いやれるから素晴らしいんじゃないですか。それでじゅうぶんなんです。p.40

 みんな、孤独です。人は誰にもわかってもらえない。人は皆ひとり生まれひとり死す。でもそのことに気づけたからこそ共に歩める。人は孤独だが、孤立はしてない。

俺は百万持ってるって言う奴がいても、その人に言いたいのは、それ、お前のものじゃないぞって言うことですよ。それを使う権利を持ってるだけだって。お金に名前を書く欄は無い。p.49

 所有が目的になる煩悩。仏教の、捨てるという思考。そこから開ける世界。

とにかく皆さんメールを気軽にやられていますが、これは実に恐ろしいものなんですからね。一歩踏み外したら死ぬかもしれない、と言うくらいの覚悟を持ちつつ、取り掛かってください。p.115

 釈尊は菩提樹の下で悟りを開いた後、7日間立ち上がれなかった。悟った法が人に理解されることは難しいと思ったから。しかしついに立ち上がり、その後は死ぬまで法を説き続けた。もちろん最初から聞いてもらえたわけではない。最初は法話に動物しか寄ってこなかった。それで、動物よ、ありがとうと、動物に仏法を語っていた。その内容を聞いた人が、これはすごいことを言っていると、ようやく集まってきた。結局、人は人の話を聞けないのだということが仏教のスタートである。

エロ本のセレクトは、最大限露出していてもまずは水着着位のものから。最終的には、完全着位の写真で構成された本を選んでください。それはもはやエロ本ではないと言う気もしますが、そのくらい裸から遠いものをエロとして見ていくトレーニングを自分に課していくうちに、表面的には見えていないけれども、自分が見たいと願うもの、ことまでもが見えるようになるのです。解答の出ていない参考書をひもときながら、表面だけでは一見わからないようなことを見通す目を養う。これも、人間がエロを通じて学ぶ、大事なことの1つです。p.141

目覚めとは。何を見ているつもりなのか。何が見えていないのか。完全着衣は、日常を指す。つまり日常の中にこそ、得難い縁がある。特別な世界にはない。

そういった危機一髪を救うのがこれまでの自分のオナニー経験なんであります。だって、女性とどうもうまく噛み合わないとわかったら、瞬時にして、自動操縦に切り替えることができるはずですから。せっかく現実の相手がいるのにダミープラグを使用するのは本来は忍びない話ですが、身を助けてくれる最後の1手としてはあり得ることです。p.146

智恵。何かに縛られている私たち。その鎖を解き放つのが智恵。真理を見据え、方便を駆使し、自在となる。

好きと言う気持ちを告げられたときに友達でいようと返事をする人たちが必ずいますが、そういう返事にはこう返していけばいいですよ、「友達って何かね⁈」って。友達でいましょう、と言えてしまうというのはね、友達の概念を考えたことのない人間ですよ。まったく、ふざけるな!って話です。友達ってひょっとしたら恋人よりも深い関係なのかもしれないんですよ?p.149

友とは、倶。共。侶。朋。仏教ではサンガという仲間の概念がある。しかし、集団という仲間は仲間外れを生み出す。人類の歴史はその連鎖の歴史でもある。『映像研には手を出すな』で、「私たちは友だちではない。仲間です」という台詞が印象深い。同志。志を同じくする仲間。

友達っていう言葉って、使い方によっては自分の人格も問われ、相手の人生も狂わせる。男も女もぜひ注意したいところです。p.153

 仏教の究極の目的は人格だ。と私の父がよく言っていた。杉作さんも〈人格〉を譲れない一線に置いています。それは一見馬鹿にされそうなことで、実は一番私たちが忘れかけていた深奥の部分です。

人間は一文無しがレギュラーですよ。100円もってたら異常事態ですよ、それはもう。恋愛だって、相手に振られるのというのがレギュラーです。女の人とうまくいくと言う方が、どうかしている、イレギュラーな状態なんですから。p.169

 出家の発心のような語り。私たちにとっての普通とは。何が当たり前で、何がありがたいのか。そのことが麻痺してわからなくなっている現代。自分。

大体、人がどうして慌てたりパニックになったりするのかと言えば、うまくいっている、すごくいい状態、が普通だと思ってるからなんですよ。トラブルは起きて当たり前です。車にはねられたとします、これは不幸なことですけども、車これだけ走ってるんですから、自分でも人でも当たることがあるだろうと言う話です。早く救急車を呼んだり、その場でできる最善を尽くせばいいんです。海水浴も、泳ぎに行ってるんじゃなくて、溺れに行ってるが正しい。喧嘩も戦争も起きて当たり前。なので一刻も早くそれを止める辞めさせるようにすればいいと言う話なんですよ。p.171

 因縁とは。自分を中心に考えると見えなくなる世界。それを離れればあきらかになる世界。それを智恵というのでしょう。

彼女から別れをつげられました。別れを告げられたときの男の第一声は、「それはないだろう」です。せめて1回は食い下がってみせる。これは、付き合った相手に対する、最後のサービスです。しかし、浮気の原因は、なんで浮気なんかしたんだよと相手に問いただしてはいけません。p.197

 悲しみに出会った時、どんな言葉が出てくるのか。どんな姿勢でいるのか。悲しみを経験したからこそ、人の悲しみに寄り添える。これを、慈悲という。

女性に対してあまりにも話を合わせてくる男は絶対に嘘つきだと言うことです。これだけは、間違いありません。p.237

 嘘とは何かを隠すということ。仮と真の世界。しかし、仮や嘘、フェイクこそが真なのでは?人生とはそういうものでは?化粧する装いの女性の割り切りを寺山修司が褒めていた。

ありえないほどに尊く、尊いほどにありえないことです。わかるじゃなくてわからないを求めていきましょう。p.245

 分別。〈わかる〉は〈分ける〉から来ています。分ける世界を、科学といいます。科学の限界、分けられない時代は、分からないことが大事になる。それを仏教の智恵といいます。

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 復刊した「映画秘宝」での墓場連載も、〈男〉から〈狼〉に題名をアップデートして再開されました。J太郎菩薩の願いが毎月ここに説かれていくでしょう。愛媛のラジオも聴きたい…^_^

 100冊目になりました。もうしばらく続けたいと思います。読んでいただき、ありがとうございます。


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永江雅邦
本を買って読みます。

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