サブカル大蔵経203宮内悠介『カブールの園』(文藝春秋)
アメリカでの人種問題が報道される中、現代の日系を問う掌篇2本。赤坂真理の繊細版か。前半は文書館。後半はプロレス団体が題材。ギミックとリアル。西洋と東洋。混ざりあえないことが、まざりあう時が、この作者のゴールなのか。
小説をあまり読まないのですが、友人の息子さんに勧められて読みました。小説って、会話が多いんですね…。
ナチュラリストのジョンは仮想現実を好まない。君は君のままでいいと。ただ私はこうも思う。ジョンは自分の手で私を癒したいのではないかと。p.29
人種問題の中のオリエンタリズム、マウントの取り合い。
アメリカに住まう有色人種としての本能だった。まるでこの電話をとると、引き返せないとでも言うように。p.50
その一枚に、出会ってしまった。
本当は違った。私は自分の意思で選んだのではなかった。より大きな何かに、誘導されていたんだね。認めがたいことを認められずにいた。p.66
赤坂真理も今作も、母との問題が出てくる。母の歴史に出会い、物語は始まる。
著書の名は野本一平。浄土真宗の開教使。北米毎日新聞社にも勤めていた。親の文字が、そのまま子の文字にならないと言う寂謬感。伝承のない文芸。p.74
まさかの本願寺。移民と本願寺はかなり密接な関係。樺太もそうだった。
ちょっと、政治的に正しくないことを言っていいか。…日系人ではなく、日本人の目になっている。俺たちが企業風土をアピールできるのは、あくまで俺たちがよそ者ではなく、アメリカ人の目をしている限りにおいてだからな。p.79
日本人と日系人の間。
EWFは君たち二人を歓迎する。p.113
ECWがモデルだろうなぁ。
彼女の必殺技、コーナートップからのセントーンの影響らしい。p.163
ディック東郷か。
いつの間にか、僕もエディの脚本に取り込まれていたのかもしれない。p.189
全身プロレス。
姉はシャーマンが自分の名前を間違えるのが好きだと何度も言っていた。それは、彼女がアメリカで手に入れた新たなアイデンティティーだったのだ。ある時、人種解放を唱える団体がEWFに通達をよこしたことがあった。外国人選手の名前については彼らの民族性を尊重して祖国の発音に合わせるべきだと言う内容だった。それは姉をずいぶん傷つけたようだった。なんだか裏切られたみたいと彼女は漏らした。英語が自分の中の日本語を追いつめ、日本語が自分の中の英語を追いつめる。p.191
異国での葛藤。これは、日本国内でも変わらないのだろうか。