サブカル大蔵経990北塔光昇『仏教・真宗と直葬』(自照社出版)
葬式の必要性や直葬問題に揺れた約10年前に発刊された本書。先日、オンラインでの研修会で著者の北塔先生が講義をされました。それを拝聴したことをきっかけに、私も久しぶりに本書を読み直しました。
しかしながら、このような状況に日本を追い込んだ一因に、既成仏教教団の葬儀に対する姿勢があります。葬儀を布教伝道の良い機会と捉え自信を持って執行してこなかった僧侶の側に問題があります。p.5
学者やジャーナリストによる類書が多い中、本願寺派という既存教団の学寮の務めとして提議されたと思われる貴重な一冊。
本当に「本来の仏教は葬送儀礼を重視する宗教ではなかった」のでしょうか。本書においては、それを検証するために仏教における葬送儀礼についてのインド以来の歴史を概観し、今後の真宗の葬儀に対する方向性を探ってみたいと思います。p.9
ウィキペディアから始まり、最澄、大般涅槃経、ショペン『インドの僧院生活』や「ペータ・ヴァットゥ」(餓鬼事経)、潅頂経などの文献や経典を引いてインド中国日本の仏事を検証されていきます。
本書は、葬式仏教を肯定しながらも、内輪向け僧侶擁護には向かわず、現在の儀礼にも固執されていません。住職を長年務められた現場感覚を大事に、遺族の側に立つことを大切にされていることが滲み出ている固くて柔軟な一冊。
ちなみに北塔先生は、私の中学時代の空手の先生でもあります。
釈尊の葬送儀礼はインド一般の慣習を拠りどころとしながら最高のものを行ったと解釈することができます。p.19
釈尊の自分の葬儀への指示。仏教式ではない丁寧な火葬。
釈尊は新たな教えを説いたのではなく真の意味でのバラモンの教えを説いたのです。儀礼が仏教独特なものである必要はなんらなかったことでありましょう。p.23
スッタニパータを引きながら、釈尊のバラモン観を考察。ひいてはバラモンやカーストとどういう関わりで育まれたのかという仏教そのものの考察にも繋がる視点。
5.釈尊は舎利塔供養は在家信者が行うから出家比丘は修行に専念するようにとの指示をしていた。
6.釈尊の火葬は、在家信者のみでは執行できず、出家比丘の礼拝を得て執行された。p.123
葬式仏教批判のひとつ〈釈尊は弟子に葬儀に関わるなと告げた〉ことに対する整理。マハーカッサパが到着してようやく火葬ができたことによる考察。この部分も識者によってさまざまな捉え方のある部分です。
故人に対して何もせずにはおれないという追善供養が必要との意識が生じているのでありましょう。p.33
直葬しか出来なかったけど、その後の法要はしてあげたいという著者への連絡。葬儀より法要。これは本書によれば実は伝統的な考え方なのかもしれません。
現在行われている真宗の葬送儀礼の基本は蓮如上人のご遺言によるものとされます。p.115
『金森日記』や『実如上人闍維中陰録』による第9代実如上人の葬儀。その頃に現代の真宗の葬送儀礼の原型。
現在日本人の認識から言えば、僧侶の仕事の中心は先祖の供養ということでありましょう。僧侶の側もこのことをしっかりと自覚する必要があります。p.124
遺族が求めていることの自覚が僧侶にあるのか。僧侶側が葬儀問題を通して何に気づかされていくのかが大事であり、現場において、既存の考え方に固執して、結果的に遺族の仏縁を壊していないか?ということも先日の研修会でも話されていました。
そのことによって、仏教がインド各地に広まり、中国、日本へと伝わってきました。それらのことを考えますと、「仏教は葬送儀礼を重視し、布教伝道を行ってきた宗教である」と結論づけることができます。p.124
〈インドの福田思想〉→〈中国の追善回向〉→〈日本の葬送・追善儀礼〉。それにより仏教は伝わり、民衆の中に根付いた。
以上の歴史的経過を踏まえますと、遺体をすぐに火葬することは、それほど驚くことでもないのであります。また、通夜の儀は近代に至るまで重視されてはいませんでした。p.126
昔は法事メインで、通夜や葬儀の比重は決して高くなかった。現代の形式は決して昔から固定されていたわけではないと。
通夜勤行に仏教伝道上の大きな意味を持たせています。それは、現代の日本人が平日業務を、他人の葬儀よりもに重要視してきた結果とも言えましょう。p.128
人が集まりやすい通夜こそメイン。それが現代の葬儀。時代の社会状況や人の考え方により培われたもの。僧侶主導ではない。その縁を僧侶が壊さず、丁寧に務めていくしかない。
明日もお通夜です。