サブカル大蔵経209内澤旬子『捨てる女』(本の雑誌社)
『飼い喰い』を執筆された内澤旬子さんのその時の同時進行的連載の単行本。
西牟田靖さんの『本で床が抜けるか』ともリンクしていますが、双方とも離婚されました。
捨てるとは何か?
釈尊以前から始まる捨行。昨今の断捨離や片付けをあと押しする中にも連綿と受け継がれたものが現代に蘇っているという感じがします。
しかし、何を捨てるのだろうか。部屋を、暮らしを、人間関係を、自らを。
内澤さんの、ハードボイルド的筆致。
冷静と熱情と。
なんかつらい。
冷蔵庫の聖域。1998年サハリン取材の際におばあさんが野原で積んできたバラ科の何かの実でできたジャム。p.26
こういう旅の戦利品は捨てられない。サハリンだからたぶんコケモモのジャムかな?私もトルコの田舎で道端でバーさんから買ったジャム、あれ、どうしたかなぁ。
靴を捨てた途端、ふわっと体が浮くように軽くなり、そして少し寂しくなったのである。p.40
捨てるということ。その理と哀。今、一遍上人の本(栗原康『死してなお踊れ』)を読んでるのですが、その中でも「捨てる」がキーワードになっています。でも、捨て切れるのか?
太らせて肉を食べるしか用途がない家畜なのである。彼らが生きているうちに人間のお役に立てることといえばそれは残飯整理。p.84
豚の飼育をすると言う事は大量の廃棄物と戦うこと。p.94
『飼い喰い』ファンにはたまらない同時進行ルポ。
地球上のどこを探そうにも今や3匹はいないのである。いや、殺して食べたんで、あたしの中にはいるんだけど。p.102
食べたんでなく、「殺して」という枕詞がつくのが唯一無二。
今の自分の捨てまくりたくてたまらん心境の先にあるものが幸福だとはまるで思えない。さっぱりってそんなに偉いものか?p.122
ここが一番のポイントだと思う。世の片付け術はさっぱり、軽さ、解放を謳う。今墓仕舞するのが流行っているのもその流れかも。それで良いことも良くないことも両方あった。
少しでも電力に依存しないようコンセントのついている者たちと手を切ることにした。東電に払う電気代を減らしたい一心である。p.140
この気概が今は私たちには霧散したのか、続いているのか。