サブカル大蔵経689渡辺都『お茶の味』(新潮文庫)
小さじ一杯のお茶っばしか使わない。そんな淹れ方では"お茶風味のお湯"になってしまいます。p.52
学生時代、部屋に来た友人が唯一褒めてくれたのが「お前のいれたお茶、美味しいな」です。濃い目が好きなので、茶葉をたっぷり入れ最後の一滴まで注いでいたからだと思いますが、妙な自信となりました。
京都の寺町通は「三月書房」という大好きな本屋があったので、京都に行くたびに赴くところで、通りにある一保堂も何回か入ったことがありました。あらためて本書を読んで、一保堂から急須といり番茶を取り寄せました。そしたらほぼ同じ急須を母が持っていました。平たい急須です。
農家の方が製造された「新茶」のなかから、私どもの店の味筋に合う茶葉を集めてブレンドし「今年の新茶」として発売します。p.15
〈味筋〉という言葉
粒子が不ぞろいな方が味や香りが良いというのも何だか不思議な感じがします。p.26
抹茶は石臼で、加工用抹茶は粉砕機で。石臼だと均等じゃないから味の力がある。しかし現代は、力がない均等な粒子の味の方が求められているのかもしれません。
初冬にシベリアから群れを成して飛来してくる雁は小さな枝をくちばしにくわえて飛び、疲れると時折海に浮かべてこれを止まり木にして休みました。しかし海を渡るのには必要だったこの小枝も、陸地に到着すると不要になり浜辺にたくさん置かれて行きます。/津軽地方(青森県外ヶ浜)では、この小枝を集めて命を落とした多くの雁の供養を兼ねて「雁風呂」という風呂を焚く風習がありました。その残された小枝がお茶の茎に似ており、別れた仲間を思う悲しげな雁の鳴き声から「雁ヶ音」と言うようになったとか。茎茶すなわち「雁ヶ音」が好まれるのは山形あたりの茎ほうじ茶、加賀の棒茶、出雲地方の白折茶などで、日本海側に多いのもこの雁のお話がまんざら無関係ではないのかもしれないと、お茶問屋さんが教えてくださいました。p.34.35
茎茶好きなのでこのエピソード嬉しい。
開国を控えた日本が外国へ輸出できる商材としては、第一に生糸、次にお茶。p.67
佐賀県の嬉野を訪れた時、嬉野茶は長崎から輸出されたと聞きました。お茶が日本を支えていたのですね。
茶業界の先輩たちからはずいぶんとひんしゅくものだったと、母から何度か聞いたことがあります。今では店頭に当たり前の袋で姿で並べられている百グラム入りの袋なのですが。p.70
一保堂でも後輩なんですね。小分け袋。
「茶色」がブラウンを表すように、その当時のお茶の色はブラウンだったと思われます。p.89
なるほど。という事は普段使いは番茶。
庶民の日常では「番茶」が飲まれていたものと思われます。/現在私たちが飲んでいる煎茶の製法が確立されたのはいまから280年ほど前の江戸時代の中頃、京都の南、宇治田原でのこと。「茶畑で摘んだ新芽をまず蒸気で蒸して酸化酵素の働きを止め、熱を加えて揉みながら乾燥させていく」この原理は現在でもまったくそのままです。p.108
煎茶の歴史は番茶より新しいんですね。蕎麦茶や蕎麦がきと麺の蕎麦みたいな関係でしょうか。
今は少々敷居が高いと感じる方が多い「抹茶」が、実は最も飲みやすいお茶なのです。p.110
抹茶は茶がらのでない〈究極のインスタントティー〉。あっという間にペットボトルでお茶を飲むようになった私たちですから、お抹茶を気軽に呑む日が来るのかもしれません。水不足になったら龍角散みたいに粉のままでとか。もともとお茶は眠気覚ましの〈覚醒剤〉なので、いよいよ先祖帰りのドラッグ化でしょうか。
「いり番茶」は店頭のお客様から見える場所には置かず、ご注文いただいたら奥から出してお渡しするようにしています。/その香りが独特で「煙臭い」「タバコ臭い」と感じる方が多く、「たき火茶」と名づけられた方もありました。p.119.120
いり番茶、取り寄せましたが、安くて美味しくてクセになりそうです。紅茶だとラプサンスーチョン、ウイスキーならラフロイグのよう。
「点てる」とか「練る」という言葉/
「点前」と言う美しい言葉p.181
お茶の専門用語は興味深いです。仏教と通ずるので勉強したいです。
湯気の様子を目安にする方がわかりやすいはずです。p.240
80度。湯気を日常で見ない現代。お茶を部屋で自分で入れて飲もう。