サブカル大蔵経988芳賀登『葬儀の歴史』(雄山閣)
日本仏教もともとは葬式仏教であったのではない。むしろ仏教本来の使命たる救済仏教であり、解脱仏教であった。それが近世になって、葬式仏教化が徹底したとき、日本仏教固有の性格を失ったとも考えられる。p.130
日本仏教の特色は、〈鎌倉仏教〉の解脱仏教や救済仏教であり、それが儀礼的な葬式仏教となって、形式的なものになり、堕落したという見解。これが一般的な見解かもしれません。それを再考察したのが、今まで紹介した書籍かもしれません。
江戸近世の専門家が著した歴史ノート。仏教の堕落を悲嘆し、その改革を鼓舞。後の類書に比べると、プロトタイプというか、筆も大らかな感じがしました。
葬式仏教に堕している仏教を、本来の救いの道に戻そうとしているとするならば、この仏僧の見解には聞くべきものがあろう。p.7
僧侶が、葬儀を通して無常の理と仏道へ導こうとすることを聞き、激励。
「葬式無用」なる標語は、明治40年ごろからあらわれてきた。p.9
廃仏毀釈の流れ。仏教や僧侶への批判は今に始まったことではない。今は批判すらされないのかも。落語とかでは、必要悪として僧侶が描かれています。
14世紀になると、禅宗も密教や浄土宗の作法をとり入れ、僧侶葬法を完成し、在家の葬式にも関係を持つに至った。もともと天台・真言のように、固定資産をもたなかった禅宗は、在家の葬式と関係することによって財源を得たのであった。p.81
禅宗は儒教の作法を取り入れたという文章も読んだが、ここでは密教や浄土宗を注入とあります。教団維持を支える経営的な側面にも注視。
これをさぼると、宗旨改をことわるなどをしたところから、檀那寺は、俗界の支配者となり、租税徴収者の亜流としての機能を果たすようになった。/寺僧は、その反面檀家訪問を企てた。p.132
俗界の支配者!まさにゆりかごから墓場まで。監視、統制、徴収。僧侶はヒール要素に満ち溢れている。
山伏は諸国を歩き廻って新知識を得、それを村人に与え、いわゆる世間師の役割を果たし、寺子屋で子弟の教育などを施し、私的指導者としての地位を持っていた。p.139
僧侶よりも僧侶的な山伏という存在。現代の意識的な僧侶は山伏に学ぶべきと思う。そこから、山伏の逆襲が始まり、完成形を見るような気がします。情報と呪術。古いようで最先端の山伏。
明治維新後の神葬祭観念によって、離壇思想が形成され、公営墓地の利用傾向が高められてきた。p.239
公園墓地、自治体墓地の始まり。地元の自治体で合葬墓が作られていて、その非宗教性の是非がよく関心の的として話題になっています。
葬儀に関する書籍を読んでいくと、今問題になっていることは、最近初めて問題になったのではなく、昔からあったことが知らされました。
忌服令摘要一覧表。
夫50日・13ヶ月。
妻20日・90日。p.279
葬儀の百科事典としての本書。いわゆる喪に服す期間も明治初期には決められていたことが掲載されていました。対象により期間が違うのですね。喪中ハガキの範囲が話題になることにつながるような。