サブカル大蔵経497「NHKまる得マガジン 残り物でカンタン! 京都人の知恵 始末のアテ」(NHK出版)
母が京都出身なので、よく「始末屋さん」という言葉を聞いて育ちました。
ご馳走を食べたら、あとは〈始末〉して、しばらく毎日お茶漬けやと。
〈始末〉とは〈家計を切り詰める〉という方向の言葉のようなんですが、それだけではなさそうで、実はそこに楽しみや幸せを発見していく言葉でした。
実は、おじゃことお漬物かけたお茶漬けが一番美味しい何よりのご馳走なんや、と。
ですから、切り詰めることだけが目的になると、「そんなに始末してどうするの」「始末屋さん」と、ケチを揶揄されます。
ハレとケのメリハリを大事にするのかもしれません。
妻も京都出身なんですが、始末という言葉は使いません。しかし、ご門徒さんから頂いた大根の皮をよく料理してくれます。昨日は皮のサラダ、皮の塩揉み、おすましの具は大根の中身でした。
その日常である〈始末〉が番組や本になるのは驚きましたが、家呑み用とか、今のご時世にあったテーマなのかもしれません。
ただ、斎藤美奈子の『戦下のレシピ』を少し連想しました。今は、戦時中なのかも。
講師は、小平泰子さん。
「始末」とは、余った物を捨てない工夫のこと。私は日おばあちゃんがいつも野菜の端っこや果物の皮も残さず料理に使いきるのを見て育ちました。/処分するのではなく、おいしく生かしてあげようという気持ちで調理をすると、意外なヒット作が生まれるし、食材を使い切れて、うれしくもなります。p.4
工夫を、度がすぎないように楽しむ。
始末ってなんでしょう。
たとえば、お茶漬け。
冷えたご飯につくだ煮をのせて、あればのりものせて、きちんと入れたお茶をかけて、それだけで、かたくなっていたご飯が一粒ずつほどけて、サラサラと食べやすいお茶漬けになります。始末って、昔の人の知恵なんですね。p.6
京都の人はつくだ煮も好きですね。
現在の食事でも、始末はいくらでも…。水炊きを食べた後のおいしいだしに、カレールウを入れるのも始末ではないでしょうか。締めのカレーうどんにも、翌日のカレーライスもできます。p.7
たしかに妻もよく残り汁使います。
おでんの汁が残ったら、おからを炊きましょう。大根や練り物のうまみが入って最高においしいから!これは、おでんの後のお楽しみ。p.7
少し始末屋さんになってきたかな?
たいのお頭を甘く炊いた物の残り汁には、そうめんです。煮魚のだしを含んで、ごちそうにゅうめんになる。何度食べても大好きな味です。p.7
母は鯛のお頭が一番のご馳走。妻はにゅうめんが大好きです。でも、そのふたつを合わしたことはないですね。
そうそう、昔、ごまあえをつくった後は、おばあちゃんがすり鉢にたまった衣がもったいないといって、ご飯を入れて絡め、小さなおにぎりにしてくれました。
ごまあえよりも、おまけのおにぎりのほうが楽しみだったくらいです。
のこり福、のこり福。
始末で生まれたおいしいものは、そう呼びたくなります。p.7
ウチでと何かとすぐ、小さなおにぎりを作ってくれますね。これも始末なのか…。
鍋であまった白菜・ねぎでp.9
切れはしの大根でp.17
残りきのこでp.25
使い残しの酒かすでp.33
名わき役お揚げさんでp.41
みみちっくならないギリギリのお洒落感溢れるラインナップです。
普通のレシピ集より、食べたい、作りたいもの多かったです。素晴らしい。
ちなみに私が京都で一番好きな文化は、〈切り落とし〉です。
「三嶋亭」の牛肉の切り落とし、「村上重」の千枚漬けの切り落とし。
老舗の有名店が、高価な商品の端切れを販売してくれていて、それが、本体よりも安い上に美味しかったりするのですが、これも始末文化の真髄なのかと今思いました。
それだけを目当てに店に来るお客さんもいて、カウンター横のかごに切り落としが無いと、何も買わないで帰られるんですわ、と村上重のお店の人が言ってました。
戦乱の世に明けくれた京都。海も水田もない京都。そこで人々が生き抜いてきた知恵が伝授されているのかもしれません。