サブカル大蔵経881NHK「こころの遺伝子」制作班編『三宅裕司の「あなたがいたから」』(主婦と生活社)
ふつうの人間こそ面白い、と。
漫才でもコントでもない喜劇。
私は学生の頃、YMOとSETが組んだアルバムを聴いていましたが、三宅裕司のなんとなく前に出ないでアナーキーなことをボソボソしゃべるというのが新鮮でした。
笑いの系譜。
関根勤が「街録ch」で、三宅裕司をライバル視していましたので、あらためて「三宅裕司とは何者か?」と思いながら、拝読しました。
自分がやりたいのは、恥ずかしいまねや下ネタ、客いじりなどで無理やり笑いを取るのではなく、"人間本来の面白さ"で笑わせることだ。p.28
これがコントの真髄かも。それを伝えるのは漫才か落語か小説か漫画か、劇か。
【三宅】やあ待たせたな。ぽつぽつ死刑を始めようか。
【伊東】お願いです。助けてください。p.38
極限こそ笑いに。コサキンのコントにもありそうなシチュエーション。
「コントとは言い換えながら、笑いはタイミングですから、稽古しないとダメなんです。タイミングがズレてしまったら笑いは絶対に起きませんから」(伊東)p.63
アドリブよりも練習。練習をせずアドリブに笑いを顕現させるモグライダー。
シュールなお笑いも少しはあっていいが、最終的には人情がないとダメだ。それを伊東さんに教えられた。p.85
伊東のいたてんぷくトリオに影響を受けた関根は、人情を破壊した笑いを作った。
メンバーたちに伊東さんが示したもの。それは「好きなようにやる」ためには、努力は欠かせないと言う無言の教えだった。p.116
自由の裏側の努力。新庄的な言葉は古くて新しい。
東貴博さんも、三宅さんは「自分が前に出るというより、他人がウケることに喜びを感じている」ように見えるという。p.138
今のお笑い界で三宅裕司的なものはどこにあるのだろうか。小倉さんやイッセー尾形が大河ドラマに出てるのを見た時、三宅裕司的なものを感じたりもしました。