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サブカル大蔵経10 フィリップ・アリエス著/杉山光信訳『<子供>の誕生』(みすず書房)
「子供」「家族」「教育」とは何か。この本は、私たちの前提をくつがえす史料と考察の旅へ誘ってくれます。
ごく小さな子供から一挙に若い大人になったのであって、青年期の諸段階を過ごすことなどない。p.1
中世ヨーロッパでは、大人の目線には子供という存在はなく、働き手としての「小さな大人」がいただけだと述べられています。いわゆるモラトリアムの時期もない。
ちょうど動物と戯れるように、小さな淫らな猿でもあるかのように、人々は子供と戯れたのであった。中略 子供は一種の匿名の状態から抜け出る事はなかった。p.2
名もなき子供時代という存在の匿名性。ブラジルの少数民族「ヤノマミ」を思い出しました。その単行本もいずれ紹介したいと思います。
子供は両親の寝ている寝台の中でごく当然に生じうる事故として窒息して死んだのである。p.8
日常的な<嬰児殺し>についても触れられています。この分野については、山本由美子『死産児になる』(生活書院)が、フランスの事情を歴史的に掘り下げていますので、また紹介したいと思います。
家族は無理に割り込もうとするものに対して十分に防衛された家屋の内部にあるものとなり。p.13
家が外界から隔絶されていき、家の中も部屋が分割されていく段階が述べられて、子供、家族、と社会の距離が変化していきます。
農民や職人など庶民の子供たちは、いつも大人たちの服装をしている。服装の上でも、労働の上でも、遊びの上でも、子供と大人と分離することのなかった古い生活様式を保ち続けるのである。p.60
働き手としての小さな大人。子供服という概念のない社会。
1830年頃イギリスのパブリックスクールでは、公然と富くじが行われ、多額の金がかけられていた。p.81
さすが何でも賭けの対象にするブックメーカーの国ですが、これと大英帝国はどう結びついていくのか。
16世記、学寮の体罰。ここで私は、いちどに53回ずつ、笞打たれた。イギリスの文書は学校のことを「処罰の場」と言う。p.246
完全に男塾ですよ!
家庭教師による個人教育、通学生及び寄宿生を対象とする集合的教育。18世紀に至るまではこれら3つのカテゴリーは存在していなかった。p.254
通学の学校だけが教育ではない。寄宿舎といえば、萩尾望都『トーマの心臓』などの舞台ギムナジウム。こういう背景が繋がっていくのが読書の醍醐味。
生徒たちは常に武器を携帯していた。1680年ブルゴーニュ学院の規律に関する規則でもこの義務は明記されている.「ここの教室においては重機や鍵を保持してはいけない。」p.297
これまた男塾!
イギリスではパブリックスクールの伝統のうちにこれらの物乞いの慣習の残存が認められる。彼らは通行人を止めわずかの塩と引き換えに彼らに金銭を与えるよう強引に求めるのである。この塩は通行人から新入生たちに降りかけられるのであった。イートン校について研究したイギリスの歴史家、はここに「窃盗と物乞いの中間に当たるような何ものか」を見ている。p.306
ローソク出せ!とはまた違うのかな?あまり可愛らしい趣きはら感じられません。カツアゲ文化の国際性ですよね。
17世紀末までは誰もがひとりでいる事はなかったのである。孤立は不可能だったのである。p.374
常に誰かがそばに居る。プライバシーやパブリックの概念はこういう前提から始まっているのかな?
17世紀にかけて、子供は親に対しひとつの地位を獲得していった。それは、子供を他人に委託する風習が盛んであった時代には、熱望しても叶わぬことだった。このように子供が家庭に戻った事は大きな出来事であり、中世的家族と一線を画する主要な特徴を、17世紀の家族に与えているのである。子供は日常生活に欠かせない要素となり人々はその教育や就職、将来を思い煩う。子供はまだ社会機構全体の軸ではないが、以前と比べてはるかに重要な登場人物になるのである。p.379
「子供が家庭に戻った」という表現が新鮮。日本でも丁稚奉公という言葉もあるし、家庭に子供がいるということは難しい時代の方が多かったのかも。そういえば戦国時代でも子供は人質でしたね…。
私たちは、15世紀から18世紀にかけて、家族意識が発生し、発達していくのを見てきた。p.381
「ガキの時遊んでもらった記憶なんかないよ」という昭和の思い出語りがよくありますが、階層や貧富で違いがあることも、この本ではきっちりと述べられています。
家庭と学校とは一緒になって、大人たちの世界から子供を引き上げさせた。かつては自由放縦であった学校は、子供たちを次第に厳格になっていく規律の体制のうちに閉じ込め、この傾向は18世紀・19世紀には寄宿生として完全に幽閉してしまうに至る。家族・協会・モラリスト、それに行政者たちの要請は、かつては大人たちの間で子供が享受していた自由を、子供から奪ってしまった。p.386
子供にとって何がいいのか…。
これらのエピソードや史料、考察に触れて、ヨーロッパの残酷とみるか、現代の子供に対する行きすぎた過保護の反省と受け取るか、いろいろな刺激があるなと思っていたら、昨日無料キャンペーンで読んだ赤塚不二夫の問題作『レッツラゴン』が、まさに同じテーマを投げかけていました。赤塚不二夫の嗅覚とタブーに対する作家としての覚悟がすごい。
「日曜歴史家」には、1960年代の初め、パリで、1人のバナナ輸入業者が子供と家族の歴史について新しい議論を示したと言う噂が広まった。p.390
アリエスも在野の研究者として、歴史学の分野を切り開いてくれました。
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