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サブカル大蔵経492高橋秀実『ゴングまであと30秒』(草思社文庫)
現代日本の沙門のひとり、高橋秀実さん。そのデビュー作です。
妥協なきしつこい論理展開と、突き放すようで優しい視点に、秀実節の片鱗が。
そもそもボクシングとは、スポーツと言うより殴り合いと言う1つのコミニケーションでもある。パンチはことばと同じなのだ。言葉を交わすことで相手を知るように、私はわずか1メートルの距離でつばを飛ばして何やらぶつぶつつぶやきながら出してくるパンチから、彼らの様々な思いを感じとった。みな、なんとかしたいのである。ほとんどが勉強も中途半端で、クラブは補欠、仕事をぱっとせず、かといって他人に誇れる暗い過去もない。みな見せ場が欲しいのである。しかし、彼らが目指してるのはチャンピオンや栄光の類ではなかった。1番大切なのは、必死になっている自分だった。いつのことだかわからないわからないが、その日に備えて頑張っている自分だった。p.297
関わった人を成仏させていくリアルな作品
「自分のボクシングはどうですか」と言う問いかけは「自分のことをもっといろいろ言ってくださいよ」と言う手相見への寂しい懇願にも似ている。p.21
ボクシングトレーナーの秀実さん。そこのジム生たちとの会話が、軸になる。
「あかん、あかん、絶対にあかん。ウチはホント弱いのや」弱い方が立場が強いのである。p.206
のちの作品、開成高校野球部を取材した『弱くても勝てます!』を思い出します。
アホか。お前はお前なりにやるからあかんのや。p.228
ジム生の主張する自由は、自由や権利を当然のように求める私たちの姿と重なる。
しつこい・薄気味悪い・まどろっこしい・インチキ臭い、と言う道を精進するのも、立派なボクシングなのである。p.234
かっこいいと言う呪縛からの解放
塀の周りで神社仏閣に異様に詳しい会長の講釈を聞かされたが、話のネタは早く着き、近くの蕎麦屋ですき焼きうどん食って旅館に戻ると、まだ10時だった。時間が…たたない。p.271
試合に臨む前の時間の緩さがリアル。
判定、ドロー。しんとした会場は、ため息も拍手も何の反応もなかった。東岡は椅子に座ったまま、目は天井の照明のあたりを泳いでいる。何やっとんのや、お客さんに挨拶やろ。会長が東岡の背中を叩いた。東岡は思い出したように照明のまぶしいリングの中央へ小走りに進んだ。そして光の中にもう一度立った。礼をするでも愛想を振りまくでもなく、ただそこに立った。何をしに行ったのか忘れたように東岡はそこに立ったままだった。p.284
ゆるい小説が、名シーンを生み出す。
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