サブカル大蔵経842仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書)
宗教、政治、家族。
全ての集団に連なるエチケットと本質。
恐ろしい本です。
国家を批判する人が同様の国家をつくる。
アーレントを妄信するのではなく、彼女の思索を通して西洋思想の本質を丁寧に浮かび上がらせる仲正さんは、信頼できます。
わかりやすいと言うのはあまりにも明確な答えを与えられて満足し、もはや自分で考える必要がないし、考える気もしない状態にさせてくれると言うことである。p.9
わかりやすさ、単純、合理、思考停止。そこからナチスに繋がる。今読んでいる藤原辰史『分解の哲学』でも取り上げられていました。
政治に関心を持っているような人は「私は意識が高い」と思っているので、自分自身がメディアの作り出すステレオタイプの批判に受け入れ、限定合戦に熱を上げているなどとは考えたこともない。しかし、自分たちの敵は愚かなのでステレオタイプに取り付かれていると思い込んでいる。そのせいで余計にステレオタイプな発想をしがちである。p.12
反政権を目標とする市民運動の人に読ませたい。彼らが敵という言葉を使う理由。敵以上の敵はあなただと傍観するわたし。しかし傍観を悪と捉えない本書の凄み。
「活動」している者の方が、傍観者的に観察している者よりも、「政治」をよく分かっていて、正しい判断をできるわけではないということがある。「政治」の舞台で現に「活動」している人たちは、どうしても自分の主張の正当性をアピールすることに拘りすぎて、他人の主張、特に自分のそれと対立する主張に対して公平に耳を傾けることが難しくなる。p.209
小見出しは「傍観者は悪いのか?」です。声を上げるということの背景を探ると…。
マスコミやネットではなんだかよくわからない「格差社会」というものと戦わねばならないと言う論調が広がり、多くの人がそれに同調している。一旦そういう言説を共有するサークルの中に入ってしまうと、なぜ格差が問題なのかを突き詰めて考えなくなる。とにかく味方が言っているからと言う理由だけで同調し続けることになる思考停止状態である。アーレントはそういう思考停止したままの「同調」が、「政治」を根底から掘り崩してしまい、ナチズムや旧ソ連のスターリン主義のような「全体主義」につながるとして警鐘を鳴らし続けた。p.14
全てはサークル、仲間という集団から始まる。思考停止の同調しか許されない。私も異物を許さない思考になっていく。
アーレントは、ナチスはあなただ、と突きつけているのかも。
日本の左派知識人は一般的に右/左の政治的区別にかなり敏感である。右に分類される思想に共感を示すこと、言い換えれば自分の右性を示してしまうことを極力回避しようとする潔癖性的な傾向が強い。p.26
分けることでしか思考できない。清濁合わせることが、自分の存在意義を消してしまう恐怖。周りに裏切り者と見做される羞恥。つまりまず活動や運動の基準は〈自分〉なのかも。それが左派が自民党に勝てない最大の原因か。
敵とともに始まった仲間意識は自己を維持するために常に敵を必要とするのである。強力な敵が登場するとその脅威を強調することで仲間を集めやすくなる。p.40
敵と仲間外れを生産し続ける仲間という思考の危険性。左翼だけでなく、小泉・安倍政権での手法。同じ穴のムジナか。しかし感情で人は動く。私も寛容なふりして、同じことをしているかもしれない。
肝心なのは、各人が自分なりの世界観を持ってしまうのは不可避であることを自覚した上で、それが現実に対する唯一の説明ではないことを認めることである。p.57
個人の〈事実〉を認めつつ、それだけではないという自覚は、〈現実〉への説明によって目覚める。坂口恭平『現実脱出論』でも描かれていた取り組み。
アーレントは、平凡な生活を送る庶民が平凡であるが故に、無思想的に巨大な悪を実行することができるという困惑させられる事態を淡々と記述したのである。p.65
アイヒマンの所業。ナチス下での「自分が何をしているかわからない」状況。