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サブカル大蔵経458林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(講談社学術文庫)
BSで見ていた中国の時代劇ドラマでは、王朝周縁の騎馬民族が、脅威の敵になったり心強い味方になったりと、ファジーな存在に描かれているのに興味を持ちました。
例えば「ミーユエ」での義渠王について。
「史記」は、義渠を殺した主語を宣太后としているが、果たしてそうだろうか。宣太后が義渠を滅ぼすことを目的として義渠に近づいたとすれば、それはかなり気の長い策謀と言うことになる。それよりは成長して母親の密通に気づいた昭王が、ライバルの出現に危機を感じ母親の名をかたって義渠王を誘き寄せて暗殺したと見る方が自然では無いだろうか。義渠の王と宣太后は何語で会話していたのだろうか。p.189
中華というメインに対するサブ。漢民族に対するスキタイ、匈奴、ウイグル、モンゴル、トルコ、フン族…。入れ替わる中心。
フン族と匈奴。唐代に突靴を匈奴と呼んだり、中世ヨーロッパでも侵入してきたマジャール(ハンガリー)人をフンと呼んだり。ナポレオンはクレムリンに火を放ったロシア人を、スキタイと呼び、チャーチルはローズベルト宛の書簡の中でドイツ人のことをフンと呼んでいる。その後の欧米の学会を見るとロシアとハンガリー、ドイツでは同族説が有力だがそれ以外の国では懐疑的あるいは判断材料が足りないとする。p.325
騎馬民族だからか、考察も桁違いにスケールが大きいです。日本なら海賊・倭寇か。現代ならネット社会なのか。
「興亡の世界史」シリーズの一冊。
以前私はウイグルの対唐政策と言う論文を書いたことがある。友人から、今まで唐の対外政策と言う論文を見たことがあるが、中華王朝を他国からの視点で見るような論文題目を初めて見たと言う感想もらった。p.15
こういう視点は貴重。日本での北海道。弥生時代での縄文文化。大陸と北海道を股にかけたアイヌ民族。
匈奴は漢にとって、ほとんど唯一にして最大の敵国であった。敵国とは敵対する国と言う意味ではない。匹敵する国すなわち対等の国と言う意味である。p.18
なるほど…。その〈敵〉か!
エルミタージュ所蔵の鏡の文様には西アジア、ギリシア、スキタイの3つの様式が入り混じっている。p.113
スキタイの文化
右手に角杯を持つ。p.178
表紙写真の像
匈奴の使っていた言語がテュルク(トルコ語)かモンゴル語か議論わかれるが、いずれにしても中国語(漢語)ではなかった。p.186
トルコとモンゴル。アジアのスケール。
寄る年波には勝てず、気は衰え髪や歯は抜け落ち、歩行もままなりません。呂太后。p.214
という描写が。
考古学資料の方は毎年のように新たな発見・発掘が続き蓄積されている。p.355
文献学と考古学
テュルク語は、地域差の少ない言語。ウイグル人はトルコ語を半分以上理解できる。p.359
これも興味深いです。あの難しいトルコ語を…。
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