サブカル大蔵経493中川右介『読解!「ドラえもん」講座』(イーストプレス文庫ぎんが堂)
ドラえもんは、藤子不二雄の時代なるものが終わった後誕生。期待されてなかった。p.20
実は『ドラえもん』は、『オバQ』ピーク後、週刊誌をクビになり、没落時代の藤子F先生が描いたという考察。
単行本では分からない、学年誌ごとのデータ検証が圧巻の書誌学でした。
一昨年訪れた藤子・F・不二雄ミュージアムで、まさに、各学年誌の第一話が特集されていて、本書の内容が追認できました。
その結実がベストセラーの『ドラえもん』0巻でしょう。
あらためて、奇跡の漫画、ドラえもん。
その影の、F先生の、屈辱と執念。
小学生に子供っぽさ感じさせる。p.31
古いとされた画風。
学年誌だけが残された場。p.34
少年誌からはクビ同然の扱いだった…。この辺りの流れは、ブラックジャックで蘇生した師匠の手塚治虫と似ているのでは?
四年生、学年誌クラスでわずか。p.37
そのニッチな四年生でこそ、開花。
日常版と冒険版は全く交差しない。p.52
冒険版が、長編ドラに移行し、主力化。
ドラえもんループもワープもする。p.55
SF考察。パラレルワールド問題。
1972年4月の藤子不二雄作品。p.86
ずっと順風満帆ではなかったからこそ、『ドラえもん』の価値がある。
てんとう虫コミックスはループ構造、大全集でパラレルワールド明確。p.112
この考察が、本書のクライマックス。発表順、時系列の全集が、単行本での執念とも言える工夫を明らかにした。
源静香、敵か味方かわからない。p.124
私も昔、しずかの全セリフを抜き書きしました。とにかく口が悪い。
ドラえもん、母親は悪役。p.149
必要悪としての母親。
ドラえもんがいなかったら単なるいじめの話。p.167
ジャイアン・スネ夫の壮絶な仕打ち。
ドラえもんは学校に行かない。p.179
ドラえもんの存在を世間が認めているのかどうか、という設定。