足りないもの
お盆を口実に、両親が二泊三日で京都に旅行するとは聞いていた。
「お姉ちゃんもおいでよー」という母親の言葉を聞き流していたけれど、
ある日父親から「交通費と日当分くらいは出すからおいで」言われ、守銭奴のため京都行の新幹線にホイホイと乗る。
割と騒がしい家族なので、二泊もしたら私の精神状態に危険を及ぼす可能性があると考え、京都に夕方着で次の日のお昼に帰る作戦。
京都に着いて、まずは母親に連絡してみるも電話に出ない。
父親に連絡してみると予想通りほろ酔いな声で「お母さん買い物行ったよ」とのこと。
母親が買い物している百貨店まで迎えに行き、二人でホテルに戻る。
夕ご飯どうするかで、いつものごとくひと悶着。
父「さっき一人でハイボール飲んで餃子食べたから、そんなにお腹すいてない適当にどこか行ってくるわ。」
母「買い物しててお昼も食べてない!おなかすいた!」
私「おいしいもの食べたい!」
変な時間に勝手に餃子を食べた父親を置いて、たまたま一番早く予約の取れたホテルの鉄板焼きへ母親と二人で向かう。
シークワーサージュースしか飲まない母親を横目に、シャンパン、白ワイン、赤ワインと、ここぞとばかりに飲んで食べ、部屋へ戻ったところで、母親の携帯が鳴った。一人で外にフラフラ出かけた父親からだった。
「もう一軒行きたいお店があるけれど一人で行きたくない」とのこと。
せっかくの京都の夜に外に出ないのはもったいないと思い、「お父さんとこ行くね!」とホテルを出て祇園に向かった。
父は昔行ったことのあるバーに行きたいけれど、なんとなく一人では気後れする、という話だった。
二人で花見小路を歩く。
私が20代に酔っ払って何度も歩いた道。酔っ払いの親子で歩く。
とても変な気分。
あるお店を指差して父親が言う。
「お姉ちゃん、お父さん学生の頃ここのお店で食器洗いしてたわ。鍋が重くてね、大変やった。」初めて聞く話だった。
三重県出身の父親は、京都の高校入学と同時に京都で下宿していたらしい。
なんだろう、なぜか泣きそうになる。
父親の行きたかったお店は、お盆のためお休みで酔っ払い二人は四条通りを歩いた。
もうおとなしく帰るかな?と思ったその時「一つ友達に紹介してもらったバーがあるから開いてたらいこか。」と父親。
飲み足りない私は「行こう!行ってみたい!」と二つ返事。
父親の話していたバーは幸いにも看板が明るかった。
父親が重そうな扉を開くと「おお!〇〇!(父親の名前)」
まさかの、父親の高校時代の同級生がいた。
その日は本当に嬉しそうに飲んでいた。
私のことを「東京にいる娘がきた」と紹介し、普段パックの「いいちこ」しか飲んでいるのを見たことがない父が「ジントニックをください、この子には飲みやすいのを」と注文し、同級生と話していた。
仕事のこと、お互いの子供のこと、去年亡くなってしまった同級生の話、昔好きだったアイドルの話。
話している父親を見て、私はなんだか嬉しかった。そんな顔を見れたこと、その空気。
懐かしそうに、だけど時々寂しそうなこと。
父の同級生の方は、次の日(本人曰く)検査入院だからということで早々に帰ってしまった。
父とその方は「退院したら伊勢で祝おう!おいしいところ行こう!」と乾杯を交わし、さよならをしていた。
残った父は「ウイスキーロックでもう一杯。これ飲んだら帰ろうか。」とお店のお姉さんと私に言った。
二人でホテルまで帰ったものの、今日はまだウイスキーが飲みたいという父親に付き合い、「酔っ払いは嫌い!」と言いながらも、いつもより少し楽しそうに起きている母親と3人で何時間か過ごした。
朝起きて、ご飯を食べ荷物を詰めている時に、誰ともなく父親がいった。
「昨日はすごい偶然で楽しかった、だけど足りへんかったものがあるなあ。」
最初は、何か忘れ物でもしたかなと聞き流していたけれど、一応聞いてみた。
「足りへんものってなに?」
「死んでしまった同級生もあの場にいたらな。あいつが足りてへんかった。」
もう何も言えなかった。
泣きそうなのをごまかして準備をした。
家族でも、別の人間でそれぞれの人生。
でもねぇ、お父さん。お父さんはずっと私のお父さんでいて。いなくならないで。
そんなとても自分勝手なことを思った2018年8月の京都の思い出。
それにしても 暑かったな。
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