もうすぐ誕生日だ!と、何ヵ月も前から楽しみにしていたけれど徐々にその日が近づいてきたので、このごろの振り返りを。 ちなみにたまに「いまだに誕生日が楽しみなのすごいね」と言われるけれど、自分でもびっくりするくらい、まだまだ誕生日の特別感に飽きていない。(いつか飽きるの・・?) まだ終わっていないけれど、41歳は私の中で結構特別な歳だった気がする。というのも、いつもよりも大きな、いくつかの 「やめたこと」と「はじめたこと」が発生したから。 あれ、でも考えようによっては「やめ
先日夫と、男女問わずどういう人が好きかという話をしていて気付いたんだけれど、 私は「自分で自分のこと運が良い!って思っている人」がどうやら好きみたいだ。 ちなみに私はもちろん自分の事を、運が良いと思っている。 思春期に拗らせて何度か救急病院のお世話になり、離婚し再婚し、実家では諍いが常にあり、 三回以上職を変え、 それでも私は自分が運が良いと思っている。 そして今も私の周りにいてくれている友人達は、おそらくみんな自分で自分の事を運が良いと思っている(と思う)。 運って
2020年11月28日、夜ご飯を食べて家でTVを見ていると母から着信があった。 なんとなく怖くなって夫の服を掴みながら電話に出ると 「お姉ちゃん、さっきおじいちゃんが亡くなった。今みんな集まってきてるからまた連絡する。」と涙声の母から告げられた。 祖父はその時93歳で、60代後半で膵臓癌を患ったにも関わらず奇跡的に復活し、その後、何度か肺炎で病院に担ぎ込まれていた。 その都度お医者さんに「もう無理かもしれません」と言われていたので、私も含め家族は何度も「さよなら」の覚悟はし
心がしんどくなるとわかっている情報を、わざわざ自分から見たり聞いたりするのを止める!と言う決め事をした。 今のところ守れているので、心も体も軽いし、「自分との約束を守っている」という事によって自己肯定感も上がっている(気がする)。 誰も幸せにならないと思えるゴシップとか、見ていて自分がハッピーではない誰かのSNSをちょっと暇なときに見ちゃうような、 そういう癖も、そういう事している自分も好きじゃないなと思っちゃったので。 癖って意識しないとやめられないし、思考の癖なんて
特筆することは何もないのだけれど、なんとなく今の日常を残しておきたくなった。 気付いたらもう8月。 最近は30度越えの日が続き、ひたすた涼しさと、辛かったり酸っぱかったりする食べ物を欲して過ごしている。 夏だということを頭では理解できるのに、なんとなく心がついていかない感じ。 今年はこういう人、他にも多いのかな。 体感的には3月くらいで止まっている。 GWも梅雨のジメジメも七夕も生きていた記憶はちゃんとあるんだけれど。 週二回程、夫も私も仕事に行く。 それ以外はほぼ二
先月、4年間住んだ大好きな町から引っ越した。 準急と普通電車しか止まらないその町は、 朝のラッシュは本当にひどいし、便利なショッピングモールがあるわけでもないけれど、 生まれ育った場所以外で、初めて本当に大好きな町だなあと感じた場所だった。 家から少し歩いたところにある、こじんまりとした食料品屋さんでは何百回も牛乳と卵を買ったし、行きつけのお寿司屋さんでは一人で飲んだくれて大将に呆れられていた。 もう少し歩けば朝まで飲ませて貰えるバーがあって、そこのマス
お盆を口実に、両親が二泊三日で京都に旅行するとは聞いていた。 「お姉ちゃんもおいでよー」という母親の言葉を聞き流していたけれど、 ある日父親から「交通費と日当分くらいは出すからおいで」言われ、守銭奴のため京都行の新幹線にホイホイと乗る。 割と騒がしい家族なので、二泊もしたら私の精神状態に危険を及ぼす可能性があると考え、京都に夕方着で次の日のお昼に帰る作戦。 京都に着いて、まずは母親に連絡してみるも電話に出ない。 父親に連絡してみると予想通りほろ酔いな声で「お母さん買い
ある日、二人でご飯を食べた居酒屋からの帰り道、ほろ酔いの私は旦那に何気なく聞いてみた。 「もし、明日世界が終わるとしたらどう過ごしたい?」 その時の旦那の答えは、当時の私には想像もできないものだった。 「今日と同じような一日でいいよ。」 びっくりした。本当にびっくりした。 そして、私と旦那が全然違う場所にいることに気付いた。 当時の私は、もし明日世界が終わるのならば、この人に会いに行きたい、 あの人とも飲みたい、 でもやっぱり実家の家
少し前に、10年来の知り合いとお酒を飲んでいたら 「あきは、結婚している時の飲み方が一番酷かったね」と言われた。 思い出したけど、あの時は確かにひどかった。 当時の職場が荻窪だったため、荻窪の居酒屋で一軒目ご飯食べて飲んで、ちょっと店変えようかと二軒目はバーへ移動して次はワインなぞ飲み続け、 三件目は中野に移動し、フィリピンの可愛い女の子達がいるお店で「お姉さん30代に見えないよ!カワイイ!来週わたし誕生日だからまた来てね!」等、言われながら飲んで一緒に歌って、
先日、男女数人で話している際にディズニーランドの話題になり、 「私行ったことないんだよね」と口にしたら、 その場にいた全員が「え?」と私を見た。 「え?今まで何してきたんですか?」 「デートとかしないの?」 「誰も行こうって言わなかったの?」と質問され ディズニーランドに行ったことがないだけで、 こんなにも、人にあらずのように思われるのかと、こっちがびっくりしながらも 「麻雀かな」 「デートってご飯食べたり?」 「覚えてない」 とひとま
もう着ない洋服や靴を処分してしまおうと集めたはいいけれど、 肝心の処分の仕方がわからず、 ごみ袋に入れて捨てるのもなんだか気がひけるし、 そもそも可燃なのか不燃なのか分からなくて怖いしで、 ひとまず親に相談してみた。 「リサイクルショップに持っていくのがいいよ」とアドバイスをもらい、 早速調べたら近くにちょうど見つけたので、 「よしここに持っていけば、なんとかなりそう」と意気込んで、処分してしまいたいものを集める。 その時、一番処分の仕方がわか
18歳の私に与えられたもの。 ともだちについて。 昨日久しぶりに、学生時代の友達の中で、比較的近くに住んでいるメンバーと飲みに行った。 お会計の時になって、どうする?ゲームする?普通に割り勘?という話に。 大体勝負は自分が勝つと思い込んでいる私が「ゲームしよゲーム!!」と強く主張した挙句負けて3人分の支払いをするはめになり、今日も一日悔しい思いを味わっていたので、ともだち についてのことでも書こう。 性別的なものでいうと、男性複数の中に女性が一人のこの集まり
学生の時、泥酔した同級生の女の子が、 「人生重要なのはバランスやから、バランスさえうまくとれてれば、だいたい大丈夫やから、ほんまにバランスやから、もうそれしかないから」 と、酔い潰れながらも念仏のように唱えてた。 ちょっとじゃあひとまず、バランス良く飲んでもらえませんかねぇと介抱しながら思ったけど、10年以上経った今も覚えている言葉なので、 きっと私の中の、「これは覚えておいたほうがよさそうだ」の場所に分類されている言葉なんだと思う。 適当に介抱してごめんね、ゆかち
日曜日に昼寝はするものじゃない。 私のように昼寝が昼寝の範疇超えてしまうような人は。 「ちょっと仮眠」のつもりが、気がづけば外は真っ暗。夕ご飯の時間もとっくに過ぎていて、絶望感と空腹感しかない。 どこかにいってしまった私の日曜日について思いを馳せていたら、なんとなく外を歩きたくなったので、部屋着のままお財布だけ持って外に出てみる。 あーカレー食べたいなぁと急に思いつき、一人で家の近くのカレー屋さんに入る。 少しわくわくしながら注文したカレーを待っていたら急に、自由す
「なんでいろんな人に反対されて、リスクも大きいのに引っ越すことにしたんだろ」 「要するに今のアキちゃんはゼンツしてるんだね」 「そうそう、まさにそれ!だって手が前に出たがってるんだもん」 なるほどなぁ。
今にも崩れおちそうなのに 崩れず、これを支えているのは何だろ。 この感情すら正確に日本語にしたいって考える気持ちかな。