
2024年これまで読んだSF作品ベスト10(2024年12月現在)
年納め文学作品ランキング企画第2弾なのですが、さっそくお詫びしなくてはなりません。
今年一年、もっぱら海外文学を中心に読んできたために、SF作品をほんの少ししか読めていませんでした。SFベスト10選ぼう~と思って読書記録を見返して、初めて気づきました。
全く読んでいないわけではなく、頑張ればベスト10を選出できなくもないのですが、そんな無理矢理選んだものを人に読ませるわけにもいかず……。
なので少し趣向を変えて、これまで読んできたSF作品の中から、現時点でのベスト10を選ぼうと思います。
いきなり企画が破綻して申し訳ありません……。
海外文学沼にハマる前までは、つまり去年までは、海外SFを中心に読み進めていました。2024年12月現在で、読んだSF作品の数は、短篇集も含めて60冊です。
きっかけは『三体』だったのでアジアの現代SFが多めですが、古典的なものにも手を出したり、ヨーロッパ圏のSFにも触れています。
好みはハードSF寄りなのですが、ミリタリーや典型的なスペース・オペラには正直そこまで興味がなく、どちらかというと時間や空間が歪んだような、「あたりまえ」を覆される感じのSFが好みです。
『三体』でいうと、二巻よりも三巻が好き、三巻よりも『三体X』が尚好き、みたいな感じ(伝わるか?)。
海外文学沼にずっぷりの現在においても、たまに息抜きがてらSFを読むこともあるし、文学作品だと思って読み始めたら最高のSFだった!ということもありました。
一般的なジャンルSFだけにとどまらず、文学作品からも浅く広くすくいあげる、ちょっと他にはないベスト10になるかと思います。……なんて自惚れていますが、いざ選出してみると特に何の特徴もないリストになってしまいました。
なお『三体』シリーズは除外します。また、俗にいう定番の傑作SFも今回は除外させていただきます。面白い順で上から10作品選ぶと、どうしてもこういう皆が知ってる作品ばかりになってしまい、新進気鋭の作品が埋もれてしまうことがずっと気になっていたので……。
この法則に従って、ベスト10から以下の5作品を除外して、改めて選出してみました。
スタニスワフ・レム『ソラリス』
ジョージ・オーウェル『動物農場』
テッド・チャン『あなたの人生の物語』
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』
宝樹『金色昔日』
ケン・リュウ編『月の光 現代中国SFアンソロジー』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) より
宝樹といえば『三体』の二次創作『観想之宙』の著者という形でもっともよく知られているかもしれませんが、個人的には劉慈欣よりも好きな作家です。中国の香りを感じるSFを書かせたら、彼の右に出る者はいないんじゃないかというくらい、作品全部が素晴らしい。
中でもお気に入りがこの『金色昔日』でした。ボーイ・ミーツ・ガールではあるのですが、歴史が逆流していくディストピアSFでもあります。2008年の北京五輪で二人は出会うのですが、大人になるにつれて、天安門事件が起こり、毛沢東が登場して計画経済が始まり、日中戦争がはじまり、国が疲弊してテクノロジーが退化していき、カラーテレビが白黒のブラウン管になり、やがてテレビ自体が作れなくなり……。歴史を逆から辿るのです。
この恐ろしさはちょっと筆舌に尽くしがたいものがあります。経済的にある程度豊かで、人権がそれなりに保障されていて、スポーツという娯楽もある時代から、飢餓と虐殺と全体主義の時代に逆行するのですから。
正直、このアンソロジーに収録されている他の作品はあまり琴線に触れてこなかったのですが、この1作品だけでも「買ってよかった~」と感じました。それからはずっと宝樹のファンをさせていただいています。
恩田陸『ねじの回転 FEBRUARY MOMENT』
(集英社)
ごめんなさい、思いっきり日本SFですね。日本のSF作家でまともに読んだことのある人なんて小川哲くらいだし、恩田陸はこの作品しか読んだことありません。それなのに偉そうにジャッジして大変申し訳ないのですが、この物語が私の性癖にドンピシャなんです、許してください。
二・二六事件を題材に取った、歴史改変SFです。「バック・トゥー・ザ・フューチャー」みたいに変わってしまった歴史を元に戻そう、というのと真逆で、第二次世界大戦を防ぐために日本の歴史を改変して軍国主義化を防ごうとする話なのです。こういう作付けの話は昔からあって、仮想戦記ものにも近いかもしれません。
ですが大きく違うのは、歴史を思った通りに変えることがいかに難しいか、ということがこれでもかというくらいしつこく書かれるところです。しかも、誰かがタイムスリップして二・二六事件の現場に行くわけではなく、史実の通りそこにいた人物の脳内に話しかけて、歴史改変に協力させるんです。話しかけられた人物は指示通り動こうとするのですが、緊張して手が滑ったり、たまたま車が通ったり、その他些細な偶然が重なって、なかなか上手くいかない。すると再び時間が巻き戻されて、同じところからスタートする。
これをずっと繰り返すんです。極度の緊張、人を殺す罪悪感、暴力と恐怖……こうしたことを何度も何度も繰り返すうちに頭が変になってくる。
歴史改変SFの中でも、この問題に真摯に取り組んだ作品は他にないんじゃないかと思います。
キム・チョヨプ『共生仮説』
カン・バンファ、ユン・ジヨン訳『わたしたちが光の速さで進めないなら』(早川書房)より
素晴らしいアイデアの宝箱みたいな短篇集で、他にも『感情の物性』や『スペクトラム』など大好きな作品がたくさんありますが、そのなかで一番を選べと言われたらこれかな。
これをファーストコンタクトSFと呼んでいいんだろうか?とある人気画家リュドミラが描いた抽象的な絵画は、なぜか人々に熱狂的に愛されている。
ある日、赤ちゃんの脳波を解析していた科学者が、赤ちゃん同士で非常に高度な会話を行っていることを突き止める。しかも、リュドミラの絵画を見せると、口々に「なつかしい」と言い始めた!解析を進めていくうちに、赤ちゃんの脳に、我々とは異なる異星生命体が住み着いているのではないかという恐るべき仮説が立てられ、それを排除する実験を行うが……。
一体何を食べたらこんなアイデア思いつくんだ?この作品がフィクションなのは当然としても、発達心理の謎やヒューマニティの根源などなど、人間存在そのものへの疑問に一日中とらわれるような衝撃作でした。
チャイナ・ミエヴィル『言語都市』
内田昌之訳(新★ハヤカワ・SF・シリーズ)
今のところ、これまで読んだ全てのSF作品のうちで、この『言語都市』が一番好きかもしれない。これはSFの一つのサブ・ジャンルを創始するような大作だと私は思うのですが、周囲に読んだことある人が全然いないのが気になっています……。
言語SFと勝手に呼ばせてもらっていますが、構造主義的に言語の機能をとらえ、SFの枠組みの中でそれを表現する作品です。
異星人アリエカ人が暮らす惑星に、人間が植民している未来世界。少数派の人間が、多数派のアリエカ人の街に住まわせてもらってる感じなのですが、彼らとのコミュニケーションがこの作品の主題です。
アリエカ人は口(発声器官)が二つあって、それぞれから異なる音を発することで事物を差し示す(例えば「エズ」と「ラー」という音を同時に発して、人名「エズラー」を指す)のです。
口は二つだけど脳は一つなので、脳内でひとつの事物をイメージした状態で発声しなければ伝わらない。人間が二人で息を合わせて発声しても、寸分たがわず同じことを考えていない限り、伝わらないのです。しかも、彼らには比喩というものが存在せず、現実に存在するもの、事実しか表現することができない。
こういう異星人たちとどうやってコミュニケートするかというと、人類は双子のクローンを生み出し、徹底して同じことを考えるように訓練して、彼らを通訳として惑星に派遣するようになったのです。
そうすることで、それぞれの口から異なる音を発すれど、脳内では同じイメージを形成する、という条件をクリアしたのでした。
もうこの設定からして最高に面白いのですが、ここに、この条件を破る通訳が現れ、その声を聞いたアリエカ人に麻薬のような陶酔を与えてしまうようになり、秩序が大きく乱れていく……という形で物語が展開していきます。
人間とアリエカ人は再び共生できるのか?そして言語は?
いつかサブ・ジャンルとして言語SFが定着し、こういう味わいの作品がたくさん生まれることをずっと願っています。
スティーヴン・キング『11/22/63』上下
白石朗訳(文藝春秋)
前二つが唯一無二のアイデアが面白いSF作品の筆頭だとすれば、この『11/22/63』は典型的な歴史改変SFです。そう、私歴史改変SFが大好きなんです……。この作品は1963年11月22日に発生したケネディ大統領暗殺事件を食い止めようとする一人の男の物語。
ダイナーのキッチンにぽっかりあいた時空の歪みのような場所を通過すると、1963年の世界にタイムスリップすることが分かり、ケネディ暗殺を食い止めれば世界はもっと良くなると信じてそれに情熱を傾けます。
……なんですが、ここからがキングの腕の見せ所。主人公はだんだん1963年のレトロ・アメリカの社会に順応し、むしろ居心地よく感じるようになり、好きな人もできて、幸せな生活を謳歌するようになるのです。ここは『スタンド・バイ・ミー』みたいな感じ。
一方で、まるで歴史の外側に何者かがいて改変を阻止しているのではないか?と思わせるくらい、ケネディ暗殺阻止計画は様々な障壁にぶち当たります。敵の姿は全く見えない、敵がいるのかも分からない。この曖昧な恐怖が非常にキングらしくて良いんですよね。
上下2冊ありますが、スピーディに物語が展開する上に、ずっと手に汗握る感じなのであっと言う間に読めてしまいました。
歴史改変SF初心者にまず何を勧めるかと聞かれたらこれかなあ。
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
斎藤英治訳(ハヤカワepi文庫)
超ド級のディストピアSFです。全体主義的ディストピアの元祖といえばジョージ・オーウェルの『1984』だと思いますが、あの世界観よりもずっとおぞましい。何故なら「生殖」自体を国家が統制しているからです。
人口減少の著しい全体主義国家ギレアデ。ここでは女性が4つの階級に分けられ、それぞれの身分の男性に「所有」されています。上流階級の女性は、花嫁教育を受けることができ、結婚適齢期(12歳とかですが)になれば上流階級の男性(高齢の男性が多い)に嫁ぎ、妻となります。
そうではない女性、思想的に問題のある若い女性は「侍女」として、上流階級の男性の「子を産むための女」として所有されるのです。これこそ、妻との性交だけでは人口を増やせないと悟った政府の国家的対策です。
主人公の女性は、この「侍女」として男性に所有されており、お屋敷の中で極めて厳しい身分差別やいじめ、思想検閲に耐えながら、男性の慰みものになり、やがて子供を妊娠するのです。
圧倒的な男性優位の世界観と思いきや、男性の側にも相当のプレッシャーと恐怖があり、誰もが他者の目を警戒しながら生きていて、気楽に生を謳歌している奴なんて一人も出てきません。
この作品には『請願』という続編もあり、二冊合わせて読むと、全体主義国家ギレアデの社会構造全体や、国が生まれたきっかけなどが明らかになります。
今年のアメリカ大統領選では、著者のアトウッドもトランプ再選を警戒して「侍女の物語」にまつわる投稿をしたりしていました。フェミニズム以前に、中絶禁止をはじめとする「生殖」に対する国家統制がいかに危険かを思い知らされる超大作でした。
エルヴェ ル・テリエ『異常【アノマリー】』
加藤かおり訳(早川書房)
未読の方に対しては、マジでこの作品については何も言いたくない。本当はこの作品がSFである、ということすら黙っていたい。完全なる無知の状態で読み進めていってほしい。そして「待って!?そういう話!?」って度肝を抜かれてほしいです。
航空機ものといえば、スティーヴン・キングの『ランゴリアーズ』を思い出すのですが、この本を読んでからあの映画をみると、随所に雑な部分がたくさん目について、いかに『異常』が物語としてきちんとしているか痛感します。
徹底的に現実主義的な世界観のなかで、ひとたび異常が起こると、社会はどのように反応するか?そして当事者はどのような決断をするのか。
もうこれ以上は話せない……私のように何も知らずに読んで脳天をかち割られてほしいです。
チャン・ガンミョン『アラスカのアイヒマン』
吉良佳奈江訳『極めて私的な超能力』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) より
これもアイデアの面白さで勝負しにきている作品です。
人が経験したことを、まるで自分事のように追体験できる「体験機械」というものが発明された世界。
史実通り南米でモサドに捉えられたアドルフ・アイヒマンはアラスカで法廷にかけられ、処刑される代わりに「体験機械」でユダヤ人の迫害を追体験させられることになるのです。
かなりタブーすれすれの作品であり、ホロコースト・サバイバーが現にいるにも関わらずここまでエンタメ化していいのか?という疑問もありますが、安易な「加害者に被害者の苦悩を味わわせる」という思考に警鐘を鳴らしているのではないかとも思えます。
凶悪な犯罪が起きたとき、誰でも加害者に対して「被害者と同じような目にあえばいいのに」と思ったことが一度はあると思います。昨今ではそういう言説も目立つようになってきました。その考えそのものを否定することはできませんが、それって実際はもっと繊細で微妙な問題なんだよ、ということを言いたいのかな、と。
作品中で「体験機械」に入ったアイヒマンは恐怖の余り泣き崩れ、結局自殺するのですが、死後になってそれが演技だったかもしれない可能性が露見します。そして、彼に体験を提供したホロコースト・サバイバーが彼を殺したのかもしれない……と。
どんなにテクノロジーが発達しても人間の心の暗部をすっかり白日の下に晒すことはできないし、犯した罪が完全に償われることはない。
こうした冷酷な現実を直視するような作品だったのではないかと思います。
アルカジィ/ボリス・ストルガツキー『ストーカー』
深見禅訳(ハヤカワ文庫)
ソ連時代のSF作品であり、ゲーム化もされてコアなファンもいる作品です。ちょうど今月、ウクライナのゲーム開発会社による「S.T.A.L.K.E.R. 2: Heart of Chornobyl」が販売され、再びブーム到来の予感がしています。
ゲームの方では若干設定が変えられていて、舞台は原発事故後のチェルノブイリになっているのですが、原作では原発事故は関係ありません。
異星人が地球にやってきて、そしてまたすぐ宇宙に帰っていったあと、彼らが滞在した地域一帯で不可思議な現象が起こるようになります。
見たこともない毒々しい植物が繁殖していたり、目には見えないが人体には有害な何かが蔓延していたり、何に使うか全くわからない物質が落ちていたりする、大変危険な”ゾーン”が生み出されてしまったのです。
主人公は、この”ゾーン”の中に入って珍しい”遺物”を持ち帰って売りさばく「ストーカー」と呼ばれる連中の一人。
貧相な装備のまま、危険を覚悟で”ゾーン”に飛び込み、金になりそうなものを物色するストーカーが集まって、ひとつの街さえできている。スチームパンクな世界観です。
彼はやがて結婚し、子供が生まれ、また高齢の父親とも同居することになるのですが、やがて彼らに異変が起こり始めます。ここ、めっちゃ怖いシーンです。
人間形態主義批判(異星人が人間のように四肢を持ち、言語を操るとは限らないという批判)の傑作として、レムの『ソラリス』とも並び称される作品ですが、レムよりはだいぶバイオレンスな作風で好き嫌いは分かれるかもしれません。
ゲームの「S.T.A.L.K.E.R. 」も難易度の高さで有名ですが、原作はもっと救いがない荒廃世界です。はーーー好き。
イジー・ウォーカー・プロハースカ『・・・および次元の刑に処す』
ヤロスラフ・オルシャ・Jr、ズデニェク・ランパス、平野清美編『チェコSF短編小説集2: カレル・チャペック賞の作家たち』(平凡社ライブラリー)
社会主義時代のチェコで書かれ、SF作品に贈られるカレル・チャペック賞を受賞した作品が載せられたアンソロジーです。どれも面白くて、特にこの『・・・および次元の刑に処す』とヤロスラフ・ヴァイスの『片肘だけの六か月』とどちらを選ぶか迷いましたが、よりSFっぽい前者にしてみました。
全体主義的ディストピアの世界。不当裁判で有罪判決を受けた主人公は、「次元をひとつ奪われる」という刑に処せられます。
三次元だった主人公は二次元となり、自宅の壁の中に閉じ込められてしまいます。この発想がまず素晴らしい。
次元を取り戻すため、様々な工夫をこらして何とか街に繰り出すと、自分と同じ境遇の人間が塀に貼られたポスターや広告の中にいて、反政府組織を結成していた。
彼らと協力して情報を集め、ついに自分から次元を奪った男を見つけ出し、そこで驚愕の事実を知る――そんなストーリーです。
物語自体はどこかで聞いたことがありそうな典型的なプロテストものなのですが、
次元が低いものは高いものに支配される、というありそうで無かったテーゼ。しかもそれが国家によって恣意的に収奪される財産の一つである、という発想。この2点に感じ入りました。
次元を奪うという発想は『三体』でも出てきます。あちらは惑星クラスの超ド級のカタストロフィーでしたが、こちらはもっと個人的で静かで不気味に演出されます。
二次元にされた主人公は失業し、家族に経済的な負担を強いることになる……という点は、カフカの『変身』をも彷彿とさせます。
同じ次元SFでもここまで雰囲気が違うんだ!と驚かされました。次元SFも新たなサブ・ジャンルとして定着してほしいなあと思います。
かつてはSFといえばアメリカでしたが、だんだんとアジアの存在感が増してきて、今回も中国SFが1本、韓国SFが2本ランクインしました。でもまだまだアメリカも負けてない。アトウッドのディストピアSF、ミエヴィルの言語SF、キングの王道な歴史改変SFと、まだまだ王者の格を見せつけてくる。
現実社会の写し鏡とも言われるSFが、今後どのような進化を遂げていくのか、とっても楽しみです。
今年も一年、ありがとうございました!