室越龍之介さんの「会津でLe Tonneau」参加してきました!その②
こんにちは。
かねてより「コテンラジオ」や「どうせ死ぬ3人」などのポッドキャスト番組を拝聴させていただき、密かにファンをさせていただいていた Le Tonneau 室越龍之介さんが、なんと会津 下郷町で「世界史」と「人類学史」の講義を2日にわたって開講されたので、参加してきました。
もともとコテンラジオが大好きで、基本的にドライブ中はずっと流してるくらいなのですが、ある日レヴィ=ストロースという個人的に大好きだった文化人類学者をコテンラジオが取り上げ、しかもそれを担当したのが室越さんだったのです。以来ひっそりファンをさせていただいていました。
塚本ニキさんも素敵だったし、あのバージョン、また復活してくれないかな~とずっと思ってます。
そんな室越さんが会津に来られるということで、何週間も前からずっと楽しみにしていたイベントでした。
終わってしまったのが名残惜しいのですが、記憶が抜け落ちないうちに講義の内容や様子についての個人的な感想を残しておこうと思います。
ものすごく長くなりそうなので1日目と2日目で記事を分けたいと思います。
※手元に資料がないまま、講義中に取った簡単なメモを頼りに講義を振り返っていますので、間違いや思い違いが多々あるかもしれません。
「それは間違ってる」と思われた場合、その原因は十中八九私にありますので、ご容赦ください。
1日目の記事はこちらからどうぞ。
2日目「ざっくり人類学史」
バタバタしてて2日目を執筆するのが遅れてしまいました……。
ブランクができてしまった分、記憶が曖昧なところが多くなってしまいましたが、代わりに主催者のあいりさんが講義用資料のデータを送ってくださいました。ありがとうございます。
記憶が抜け落ちてしまった分は資料を見ながら補足していきたいと思います。
2日目はあいにくの雨でしたが、参加者は前日より多く賑やかでした。
しとしと降る小粒の雨と、時たま線路を通る電車の音。
雨の日も下郷は素敵な雰囲気でした。
参加者同士の交流の最中、スライドにキューバ ハバナの写真が映し出され、室越さんが「僕、この近くに住んでたんですよ」と。
いつの間にか、第一話「知られざるキューバ研究生活」が始まってました。
トランスの娼婦に尻を揉まれ……驚きのキューバ・ハバナ生活
スライドの写真には、古い緑色のアメ車が写っていました。背景の建物はコロニアル様式で、カラフルなオレンジや水色。晴天の下、これぞハバナ!な写真を見ながら、
「このアメ車ってタクシーなんですが、運賃15ドルくらいするんです。」
(キューバ人の平均月収はおよそ30ドル)
「建物の軒先の影でみんなトイレするので、ものすごく汚いんです。」
「夜は軒先の死角からトランスジェンダーの娼婦が飛び出してきて、お尻を揉まれるんです。アジア人は押しに弱いって思われてるんですよ。」
……と、極めて落ち着いた口調で、衝撃の体験をいろいろ語ってくださいました。
言わずと知れた社会主義国であるキューバには、資本主義国に生きる私たちには理解の及ばない制度や構造が多々あり、たくさんの苦労があったようです。
離島に調査に行った帰り、船が出なくなってしまい、何日も島に釘付けになった際には20ドルの賄賂でなんとか乗り切った……などなど。
他にもいろいろ面白話を聞きましたが、もしかしたら室越さんの鉄板ネタかもしれないので、あまり詳細に書かない方がいいですかね。
このあと、イントロダクションなどを挟んで再びキューバの話になったのですが、便宜的にここでひとまとめにして紹介したいと思います。
キューバ、衝撃の経済構造――地下経済と二重貨幣
キューバ国民は義務教育を終えた後、その成績に応じて国から仕事が配分されるそうです。
なので皆、基本的には公務員ということになるでしょうか。
でもその仕事で得られる給料はおよそ10日分の食料費にしかならず、生きていくためには他の食い扶持を探さなくてはなりません。
キューバのタクシーが一般的な相場よりもかなり高いのは、国がタクシードライバーという職業に特別の税金をかけているからだそうです。
タクシー以外にも、ホテル業など観光客を相手にするような商売で、無くてはならない種類のものは、他の国民よりも多くの収入を見込めるということで特別税が課されるそうです。
しかもこの税は売上に対して課されるのではなく、ライセンスに対して一律に課せられるようなものだそう。
なので、その分が運賃に転嫁され、平均収入に相対して異常に高い運賃になってしまうんだそうです。
先にも述べたように、キューバ政府は全ての国民に仕事を配分するものの、その給与は極めて安く、生活を保証するものではありません。
なので国民の多くは、難民として国外へ働きに出るか、国外の親族からの仕送りを頼るか、地下経済に依存することで日々の糧を得ているそうです。
地下経済はもちろん違法です。とはいえキューバ国民に遵法精神がないかというとそんな事は全然なく、たとえば室越さんがキューバ人に違法性を指摘すると、長〜〜〜い言い訳が返ってくるそうです。
違法行為を働いているという認識はあるものの、"国は我々の生活を保証する気がないのだから、我々だって地下経済を活用する権利があるはずだ"というのがリアルな感覚のようです。
とてもしたたかでたくましいすよね。
キューバ国民の多くが現在の政府に不満を持っていて、資本主義国に希望を抱いているのは、こういうところからきているみたいです。
そしてここからが恐ろしいのですが、結局この地下経済の存在こそが、破綻しかかっているキューバの社会主義を強化しているのだ、と室越さんは指摘するのです。
国民の多くは政府に批判的ですが、しかし現状、地下経済を巧みに活用する事で生活できています。
たとえ政府が安い賃金しか保証しなくても、飢餓に陥り暴徒化するとか、失業者が蜂起するとか、そういうことが起こらないのです。
つまり地下経済こそが崩れかけた経済構造をギリギリで支え、その維持に加担しているというわけです。
革命の英雄フィデル・カストロが死んでからは特に、キューバの人々は資本主義国へのあこがれを強めているそうです。
しかし室越さんによれば、もし本当に資本主義化すれば、キューバはきっとハイチのようになるだろう、と。
元に「二重貨幣」の制度が三年前に廃止されてからは経済が大混乱しており、今やキューバは微妙なバランスの上で辛うじて成り立っているにすぎない。
「キューバを旅行するなら今のうちですよ」という室越さんの言葉になんだかゾワゾワしました。
ちなみに「二重貨幣」の制度とは、1国で二つの通貨ーーCUC(兌換ペソ)とペソを流通させる制度で、おそらく元々は観光客など資本主義国からやってくる人々から社会主義経済を守るために出来たのだと思います。
室越さんの話を聞いている限りでは、いまでは経済活動の障壁にしかなっていないように思えました。
例えば、CUC-ペソの公定レートとは大きくかけ離れたレートで実際は取引されていたり、ペソでしか買えないものやCUCでしか買えないものがあったり、詐欺の手口に使われたり……。
そしてついに3年前、CUCが廃止されてペソに一本化されたそうですが、予想通りというべきかペソは絶賛暴落中で、社会主義経済の一触即発感がますます強まっているみたいです。
キューバ人はゲバラがあんま好きじゃない?
この話が個人的にはとても衝撃的でした。
微妙なバランスで成り立つキューバ社会のことを教えてもらうにつけ、やっぱりどうして政府を打倒しようとか、あるいは選挙で政治を変えようとか、そういう動きが顕在化しないのだろうと不思議になります。
繰り返しになりますが、キューバ人の遵法精神が低いとかいうことは全くなく、むしろキューバ革命時に「道徳的な人間は優れている」という”新しい人間”思想が一般化し、みな曲がったことが嫌いだというのです。
だとしたら余計に、やりたくもない違法行為をしないと生活できないような社会に反旗を翻さないのは何故なのか?
室越さんの答えは、やはりみんな心のどこかでフィデル・カストロのことを信じているのだと思う、とのことでした。
キューバ人にとってフィデルは信頼できる兄貴分やお父さん、みたいな感じなのだとか。
だから最後はフィデルがなんとかしてくれる、と思ってるんじゃないか、との事でした。これ面白いですよね。
ただ、やっぱりカストロやゲバラはキューバ人にとってのヒーローなんですね、と聞いたところ、
「ゲバラのことはみんなあんまり好きじゃない」のだそうです。
そうなん!?
チェ・ゲバラといえば、翻訳文学好きからしたら、かのガルシア=マルケスのあこがれの人であり、他のラテアメ文学者にも多大な影響を与えた人ですよね。
私もゲバラの『革命戦争回顧録』が好きで、一時期はゲバラにかぶれてゲバラ柄のピアスを付けたり葉巻を吸ったり……痛々しい時期がありました。
どうしてキューバではゲバラが人気ないのかというと、ゲバラはインテリなんですね。
そういえば『革命戦争回顧録』で、戦場のど真ん中でも若い兵士達に紙とペンを持たせ、読み書きの指導をしていた……という描写があるのですが、それがキューバ人は嫌だったみたいです。
それよりもざっくばらんな性格で酒もタバコも旺盛に楽しむフィデルの方が好き。
九州もそうみたいなのですが、キューバの人は高学歴のインテリよりも、親分肌のアニキみたいな人物像を好むそうです。
なのでゲバラなんかよりカミロ・シエンフエゴスの方が全然人気あります、とのこと。この人はゲバラと違い、庶民出身だそうですね。
個人的に、劣悪な戦場下においても常に知性的であろうとするゲバラが好きだったし、これこそ彼の魅力だと思っていたので、本国ではウケが微妙だったと知って軽くショックでした……。
人類学の概要――研究領域と手法
ここからキューバを離れて、人類学史に戻ります。
一言に人類学といっても、その領域は「自然人類学」と「文化人類学」と大きく二分できるそうです。
自然人類学は”生物としての人間”を研究するもので、考古学や生態学のほか、心理学の一領域もここに含まれるそうです。私の学生時代には「形質人類学」という名前の講義があり、頭のつむじの向き、耳垢の乾湿、耳たぶの厚さなど、人によって異なる身体の性質が、それぞれ縄文人由来だとか、渡来人由来だとかを調べる内容でした。
一方、文化人類学は人間が形作る社会や文化を研究対象にしていて、歴史学や宗教学もここに含まれるそうです。
これから講義するのは、こちらの文化人類学の歴史について。
なのですが、実際は自然人類学と隣接する領域もあり、この二つの境界線はあいまいだそうです。
例えば、自然人類学の領域にある「医療」と、文化人類学の領域にある「呪術」は、「未開社会」では明確に線引きできません。
お次は文化人類学の研究手法について。
フィールドワークと参与観察の二つの手法があるそうです。
フィールドワークとは、原則2年間、現地で人々と一緒に生活しながら文化や風習、宗教や儀礼などを観察していく手法です。
2年という期間は、そのとき執り行われる儀礼が、毎年行われるものなのか、それとも偶然そのときだけ行われた偶発的なものなのかを判断するために設定されているそうです。
一方、参与観察は、ある特定の集団に自ら参加し、そこである一定の役割を果たしながら生業や祭事を観察する手法です。
これは社会学でも教えられる手法で、私の学生時代には参与観察の優れた研究事例として、佐藤郁哉さんの『暴走族のエスノグラフィー』を読みなさいとしきりに言われた記憶があります(読めませんでしたが……)。
なぜそれをするのか?いつからしているのか?分からないまま継承されていくもの
そのあと、これまで室越さんが行ってこられた調査研究の内容について紹介していただきました。
キューバの他に、九州でもお祭りの研究をしたり、大学の学園祭の研究をしたり、活躍されていたようです。
スライドに表示された写真。神輿を組んだ上で火のついた松明を掲げて踊る半裸の若い男性の写真――コロンビアとかかな?と思ったら、九州芸術工科大学の学園祭の写真だというので笑っちゃいました。
毎年火を掲げて踊り狂ったり、いろんな”奇祭”を行っているそうなのですが、何故それを始めたのか?何のために続けるのか?ということは、もう誰も分からないんだそうです。
とはいっても、大学の設立自体そう古くはなく、奇祭が生まれてまだ数十年しか経っていないということなのですが……。
何がなんだかよく分からないけど、先輩がやってたからやる。伝統だからやる。こういうものを室越さんは「信念」と呼び、「信念」と「行為」との関係性を探求されてきたということです。
朝起きて、ベッドの上に横たわりながら「今日は床が無くなっていて落ちたりしないかな?」「酸素が無くなっていて呼吸できなくならないかな?」といった心配は誰もしない。
文化人類学の研究領域である文化や儀礼もそれと同じで、当事者にとっては空気のように当たり前のものだ、というのが室越さんの例えです。
そういう、あまりにも自明のことを一つ一つ発見し、その意味や機能を明らかにしていく文化人類学者は、困難な仕事に取り組む職人のようなものです、とも仰っていました。
研究にはかなりの技術とセンスが求められる、ということですね。
人類学が生まれるきっかけは、大航海時代
人類学という人間そのものを研究対象とする学問は、大航海時代の到来と共に誕生しました。
アジアやアメリカから物珍しい品物や動植物が持ち込まれ、博物館や百貨店を通してヨーロッパ人の目に触れるようになり、やがてこれらを分類したり調べたりするニーズが生まれてきます。
これは人間も同じで、”白人”ではない様々な肌の色や髪の色を持つ人間がいて、それぞれ独自の習俗を持っていることが分かると、これらを調べようという学問が生まれるのですね。
きっと遠い未来、外惑星に知的生命体が発見されたら、彼らを調査研究する学問が新たに生まれるんでしょう。
このあと辿っていく文化人類学の歴史はすでに過去のことですが、おそらく未来の「宇宙人学」も同じような歴史を辿っていくのだろうなと思うと、ちょっと胸が熱くなる気がします。
というわけで、ここから文化人類学の歴史を順を追って見ていく流れになります。
室越さんによると、大きく3つの時代――「植民地の時代」「文化相対主義の時代」「『文化を書く』以後」—―に分けられるそうです。
植民地の時代 ――”ゆりいすの人類学”
文化人類学の一番最初は、「ゆりいすの人類学」と言われた(揶揄された)時代。
大航海時代が始まり、キリスト教の宣教師達がアジア・南米・オセアニア・アフリカに滞在して、現地住民に布教活動をしながら、その独特の風俗や言語などをヨーロッパに紹介していました。
初期の人類学はこういった文献を集めて、自身は現地には行かずに文献で研究するのが一般的だったそうです。
この時代の学者は、「文化進化論」や「文化伝播主義」の思想に染まっていたそう。
文化進化論とは名前の通り、文化は「野蛮→未開→文明」へと進歩していくものだ、という思想のことだそうです。
ちなみに明治維新直後の日本は、「半文明」とされていたとか。
コテンラジオの日露戦争回でも言われていたと思いますが、当時の日本人達がたとえ「西洋人の猿真似」と馬鹿にされようと、鹿鳴館で必死にワルツを踊っていたのは、少しでも"野蛮"な振舞いを見せたらすぐに「未開」と目されて侵略対象にされてしまうかもしれないという焦りがあったんですよね。
ちなみにめちゃくちゃ余談ですが、外国人顔負けの流暢な英語とフランス語を操り、「鹿鳴館の華」ともてはやされた山川(大山)捨松は、会津出身なんですよ。
彼女のような存在が、当時の明治政府には極めて重要だったのでしょう。
文化伝播主義とは、世界各地の文化の様態が一部類似していたりするのは何故か?という問いに対して、
それは文化がある一点から他の地域へと伝播していったからだ、と説明する立場のことです。
「文化進化論」よりは偏見から解放されて科学っぽいですが、結局それを証明する手立てはないし、この立場をとる学者も現地で調査したりはしていないのですね。
なので後の学者から、”ゆりいすの人類学”と揶揄されることとなったのです。
この時代の書籍として以下のものが紹介されていました。
●ヘンリー・モーガン『古代社会』
乱婚から単一婚へ婚姻制度が文明化していくという立場。
●エドワード・タイラー『原始文化』
アニミズムから一神教へと宗教が文明化していくという立場。
●ジェームズ・フレイザー『金枝篇』
世界中から「神殺し」の伝説や神話を集めた大著。
大著すぎてまだ完訳されていないそうです。
『金枝篇』は面白いからオススメですよ、とのことでした……大長編だそうですが。
この時代の人類学は基本的に宣教師などの報告書を集め、地理的にも掛け離れた民族の文化を比較したり、相互の関係や類似性に着目して推論するというようなスタイルが主流だったようです。
文化相対主義の時代 ――文化人類学者、現地に行く
第一世代
第一次世界大戦直後のある日、ポーランド人の文化人類学者ブロニスワフ・マリノフスキが、オーストラリア旅行中、戦争の影響で現地に釘付けになってしまいました。
帰国が許されず、やることがなくなったマリノフスキは、太平洋に浮かぶトロブリアント諸島に移り、そこでおよそ2年に渡って現地の言葉を学び、住民と生活を共にし、彼らの習俗を観察しました。
そう、史上初の”フィールドワーク”を行ったのです。
そこで彼は、すべての島々に謎の習俗「クラ」があるのを発見します。
「クラ」は、貝殻で作った首飾り(ムワリ)と腕輪(ソウラヴァ)を、別の島の人たちと交換する儀礼のことです。
トロブリアント諸島は、環状サンゴでできた島々で、ほぼ円形に点々と大小の島が点在し、それぞれに人が暮らしています。
彼らは互いに交易(物々交換=バーター)を行うためカヌーで行き来するのですが、島はしばしば外海に隔てられており、航海は常に危険を伴います。
それまでの人類学の知見では、生存に不可欠な物資の交換ならまだしも、生活に活用できず経済的価値(食料などと交換できる)も特にない貝殻のアクセサリーを、危険を賭してまで交換し続ける行為を説明することができません。
なので単に「未開文明の呪術的儀式」みたいに結論付けられるのです。
しかしマリノフスキは、この「クラ」がバーターのように等価交換の原則を無視しているばかりか、出し惜しみをしたり「クラ」せず首飾りを貯め込んだりすることを極度に嫌悪し、禁止していることに気が付きます。
それが何故なのか考え、ついに「交換すること」そのものに意味があるということを発見したのです。
この発見はマルセル・モースの『贈与論』や、レヴィ=ストロースの構造主義の思想に影響していきます。
この成果はまさに現地で2年にわたりフィールドワークを行った賜物でしょう。
マリノフスキの成功こそ、フィールドワークという手法が人類学に取り入れられるきっかけとなったということだそうです。
この時代の書籍として以下のものが紹介されていました。
●ラドクリフ・ブラウン『未開社会における構造と機能』
●マルセル・モース『贈与論』
●エヴァンス・プリチャード『ヌアー人』
●フランツ・ボアズ『北米インディアンの神話文化』
個人的に気になったのは、エミール・デュルケム『宗教生活の原初形態』がここに入ってこないことなのですが、これはどちらかというと社会学の領域になるのでしょうか?
第二世代
人類学の黎明期から、この学問分野は偏見や差別を如何に相対化し、中立でいるかということが問題になってきました。
しかし結局のところ、フィールドワークを行う学者のもつ偏見や色眼鏡を完全に相対化することは出来ないのではないか?
基本的に観察者の眼はいつ何時も中立では有り得ないのだ……ということを意識して調査研究する姿勢が生まれはじめます。
というわけで、第一世代の研究成果を引継ぎ、観察者独自の視点から、その民族の本質を自分の目で捉えようとする意欲的な研究成果が生まれてきます。
●マーガレット・ミード『サモアの思春期』
●ルース・ベネディクト『菊と刀』
●クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』
●ヴィクター・ターナー『儀礼の過程』
●クリフォード・ギアツ『文化の解釈学』
この中で、室越さんが取り上げたのはやはりレヴィ=ストロースでした。
僭越ながらこの日のために我が家にあるありったけのレヴィ=ストロース本を読んできた私。
一体どの部分を取り上げるだろうと迷った挙句、神話構造に山かけしたのですが、見事に外れてインセスト・タブーのお話でした。
人類にひろく、「平行いとこ」より「交叉いとこ」との結婚が奨励される傾向があるという、謎深い現象(インセスト・タブー)を解明しようとし、
実はこれは「女性の交換行為」であり、この交換行為によって親族間が互いに交流を保ち続けるのだ……ということをレヴィ=ストロースは明らかにしたのでした。
このあたりはコテンラジオ構造主義回のおさらいのような内容でしたので、詳しく書くのは控えます(すでに1万字超えようとしているので……)。
ここまでを自分なりにまとめると、
1.「未開文明」より常に「西洋文明」が勝っているという思い込みを相対化し、
2.観察者の限界を自覚し、
3.「未開文明」に接して詳細に観察し、その真髄を汲み取る
という試みが進展していった時代といえるでしょうか。
『文化を書く』以降 ――調査する側・される側
この辺からお話が複雑になってきます。
室越さんによれば、クリフォード・ブラウン『文化を書く』は、文化人類学におけるひとつのエポックメイクなのだそう。
この作品は、人類学調査における「観察する人」と「観察される人」の非対称性を学界に問いかけたのだそうです。
私も学生時代、原発事故による避難を余儀なくされた方達への聞き取り調査をやっているときに、よくこういう事を考えた……というか考えざるを得ませんでした。
避難している人にとって当時の事はそう何度も思い出したくはない筈ですが、
一方これまで何人もの調査員から同じ質問を繰り返し投げかけられ、今ではもう口からスラスラと当時の事が出てくる、しかも調査員にとって好ましい形で出てくるようになった人々を見るにつけ、
こんな事本当はやってはいけなかったのではないか?と何度も思わされました。
室越さんが宮本常一『調査されるという迷惑』という著作を紹介しておられましたが、まさにタイトルの通り。たくさん迷惑をおかけしてしまった。
少なくとも、調査というのは対象を切り刻む行為であり、多かれ少なかれ加害性を持つものだと思うのです。
もう一つ思い出したのは、ペルーの文豪バルガス=リョサが書いた『密林の語り部』という中編小説で、ここに文化人類学者を批判したこんなセリフがあります。
文化人類学者がフィールドワークを行うことで、それを受け入れる側も不可逆的な変化を強いられる。
ここで室越さんが衝撃的な写真をスライドに映したのですが、
アマゾンかどこかの白黒写真で、男性が頭に被っている仮面は縦に伸びていて、麦わら帽を被り、眼鏡をかけ、手にノートとペンを持っています。
この地に来た文化人類学者をイニシエーションに取り込んだというのです。
文化人類学者が観察対象を観察するのと同じように、観察対象も文化人類学者を観察しているのだ、という事実に激震が走りました。
さてここから新しい文化人類学を担う学者たちの学説を一つ一つ紹介していくフェーズに入るのですが、とても難しくてノートも上手く取れていないので、間違っていることも多いかもしれません。お手柔らかにお願いします。
アルフレッド・ジェル『アート・アンド・エージェンシー』
アート作品とそれ以外を分けるものとは何か?という問いを文化人類学的に研究した著作。アートはオーラというものを我々に対して放っている。
つまりそれらに自発性≒社会的な作用(エージェンシー)があることを認められる、という趣旨だそうです。ブルーノ・ラトゥール『科学が作られているとき』
”アクター・ネットワーク・セオリー”という理論を提唱した著作。一日目、室越さんのマイクが不調でしたが最後は治って、無事講義を終えることができました。ここで、”講義を成功に導くためにはマイクの協力が必要不可欠だった”と考え、マイクという無機物にもエージェンシーを認めよう、という趣旨だそうです。マルティン・ホルブラード『存在論的転回』
例えばアニミズムを信じる人が「石に神が宿っている」という時、その人にとっては本当に石に神が宿っているように感じられるのだ……と考えるのではなく、実際に神が宿っている、神が石に存在していると仮定して考えてみること。これを「認識論」から「存在論」へと考え方を変える、「存在論的転回」なのだということだそうです。ヴィヴデイロス・デ・カストロ『食人の形而上学』
ここから本格的にポスト・モダン的な話になっていくので、上手く総括したり言語化できなくなってきます。取ってたノートにもほとんど何も書けていません。何となくのイメージとして、これまでの人類学は「人間」に対して「自然」を対置し、「自然」を不変のものとして扱ってきたが、実は可変的なものなんだよ、ということが言いたいのかな……と。ダナ・ハラウェイ『伴侶種宣言』
文化人類学の次なる研究対象として「伴侶種」という概念を提示した。伴侶種とは人間とパートナーシップを結ぶ主体(本著では犬)だけど、無機物のアンドロイドでもいいらしい。なんだかSFに急接近してきた感じ。エドゥアルド・コーン『森は考える』
マルチスピーシーズの立場で書かれた著作。マルチスピーシーズというと「やれ動物のうちクジラは食べるな、ウシはいいけどヤクはダメだ」みたいな厄介版ヴィーガンのイメージでしたが、そんなことはなく、人間ではない他者の視点から人間を見つめ直す方法なのですね。
余談ですが、アーシュラ・K・ル・グウィンの短編に『帝国よりも大きくゆるやかに』作品があって、これがまさに森が集合的自意識を持っていて、森の中に人が入ると視線を感じたり、感情的に影響を受けたり……といった様子が描かれるのです。ティム・インゴルド『メイキング』
この方もマルチスピーシーズの方だそうです。このあたりまでくると、文化人類学というよりリベラルアーツって感じでしょうか。何でもかんでも考察の対象にしてしまうというか。しかし翻って人間という存在を見つめ直そうとする試みは一貫しているのかもしれません。
最後に、人間とは存在するものではなく、生成されるものだ、という言葉が印象的でした。
人間以外のものとの関係性で、人間は生み出される……と書くとソシュールっぽいですが、でも本当にそうだなと思います。
そう思って初めて、人間中心主義から解放されるんだろうな、とも。
2日目の講義ですが、参加者ひとりひとりがこれまでの人生で蓄積させられてきた人間中心主義思想を解体され、相対化されたのだと思うと、室越さんはとんでもないことを下郷町の畳の上で成し遂げたんだなと。
参加者の皆さん、以降の実生活に何か支障をきたしていないでしょうか?笑
私はこの二日間が楽しすぎて、会社のおじいちゃん師匠にずーーーっとこの話をし続けて呆れられました。
最後に主催者のあいりさんともお話しできて、互いに得意分野は違えど歴史好きということが分かり、なんだかとっても嬉しくなりました。
イベント会場の「体験の森mikan」も田舎のばあちゃん家みたいな、素朴で素敵なところでした。
下郷町、住んでる町のすぐ隣なのですが、次もしイベントがあるなら宿泊してみようかな。
おすすめの文化人類学関連書籍
講義が終わった後、興奮冷めやらぬまま室越さんと参加者の皆さんで立ち話となりました。
そこで教えてもらったおすすめの関連書籍を、せっかくなのでこちらにも載せたいと思います。
(Amazon使いたくない方も多いと思いますが、便宜上AmazonのURLで統一させていただきます)
太田好信・浜本満 編『メイキング文学人類学』
綾部恒雄 編『文化人類学 20の理論』
奥野克己『これからの時代を生き抜くための 文化人類学入門』
松村圭一郎『働くことの人類学 仕事と自由をめぐる8つの対話』
ちょっと上級者向けだそうです。
E.E.エヴァンス・プリチャード『ヌアー族 ナイル系一民族の生業生態と政治制度の調査記録』
ティム・インゴルド『メイキング』インゴルド
ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』
近藤祉秋『犬に話しかけてはいけない 内陸アラスカのマルチスピーシーズ民族誌』
山口未花子『ヘラジカの贈り物 北方狩猟民カスカと動物の自然誌』
マリリン・ストラザーン『監査文化の人類学』
小川さやか『都市を生き抜く狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』
都留泰作『ナチュン』
内容は文化人類学的ではないということですが、作者が文化人類学者で、内容もとっても面白いそうです。
さて、どれから読もうかな~~~。