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室越龍之介さんの「会津でLe Tonneau」参加してきました!その①

こんにちは。
かねてより「コテンラジオ」や「どうせ死ぬ3人」などのポッドキャスト番組を拝聴させていただき、密かにファンをさせていただいていた Le Tonneau 室越龍之介さんが、なんと会津 下郷町で「世界史」と「人類学史」の講義を2日にわたって開講されたので、参加してきました。

@moriai8118さんのXより引用

もともとコテンラジオが大好きで、基本的にドライブ中はずっと流してるくらいなのですが、ある日レヴィ=ストロースという個人的に大好きだった文化人類学者をコテンラジオが取り上げ、しかもそれを担当したのが室越さんだったのです。以来ひっそりファンをさせていただいていました。
塚本ニキさんも素敵だったし、あのバージョン、また復活してくれないかな~とずっと思ってます。

そんな室越さんが会津に来られるということで、何週間も前からずっと楽しみにしていたイベントでした。
終わってしまったのが名残惜しいのですが、記憶が抜け落ちないうちに講義の内容や様子についての個人的な感想を残しておこうと思います。

ものすごく長くなりそうなので1日目と2日目で記事を分けたいと思います。

※手元に資料がないまま、講義中に取った簡単なメモを頼りに講義を振り返っていますので、間違いや思い違いが多々あるかもしれません。
「それは間違ってる」と思われた場合、その原因は十中八九私にありますので、ご容赦ください。


雰囲気のあるセルフリノベ民家「体験の森 mikan」

まず会場についてなのですが、下郷町って田島へ行く道中にあって、湯上温泉の旅館が川沿いに軒を連ねるレトロな町なのですが、そういえばあまり立ち寄ったことも無かったし、体験の森mikan さんのことも恥ずかしながら存じ上げていませんでした。
じっさい、大内宿・塔のへつりなど観光資源はあれど、宿泊せず通り過ぎていく観光客が多いらしく、街に元気がなくなりつつあることを問題視されたあいりさんが、地域住民と観光客との出会いの場として運営されているのが"体験の森mikan"だそうです。
線路沿いの民家をセルフリノベーションされていて、ロケーションといい、雰囲気といい、ちょっとした「アジト」みたいなワクワク感のある場所でした。
2階の窓のすぐ下に線路が走っていて、踏切があり、2両編成の電車がガタゴト通っていく。
2日目は雨だったのですが、軒先をしとしと流れ落ちる静かな雨音。
ノスタルジア溢れる素敵な景色でした。

参加者は県外の方が多いだろうなと思っていましたが、意外と県内からも来訪されていました。皆さんコテンラジオ聴かれてるんですよね。これまで「聴いてます!」って人にリアルで会ったことがなかったので、俄かには信じられない気持ちでした。初対面なのに既に同志という感じがしてちょっと嬉しくなりました。

ちなみに室越さん、この日はザ・ダイアモンズのTシャツを着ておられました。それを指摘しておられた参加者の方、カントリーマンラジオも聴かれているそうで、本当に他人という気が全然しなかったです。許されるならこのまま一緒に飲みに行きたくなりました。


1日目:「ざっくり世界史」

全員集まったので定刻より少し早くスタート。
冒頭、「高校で世界史を履修されていた方は、ここでおしまいかもしれません」と前置きされていましたが、正直、高校世界史では追い付かないほど濃密な内容だったように思います。



西洋史観としての「世界史」

まずE・H・カーの「歴史とは現在と過去との間の尽きることのない対話である」という有名な引用から始まり、ヨーロッパ・中国・日本・インドの各地の歴史書が列挙され、その特性を説明されました。

●西洋の歴史書には、出来事の関連を追究する意図が既にある。
●中国の歴史書は、その時の王朝にとっての"正史"を書き記すという大義がある。
●日本の歴史書は、はじめ中国を踏襲していたものの、途中で飽きたのか武士階級が物語風に歴史を描き始める。
●インドの歴史書は叙事詩の色合いが強かったが、イスラム教流入後は時系列にそって歴史を書き残すようになる。

これだけ見ても、歴史の様態が一様ではないことが明らかです。
そしてこれから講義する「世界史」は、「世界」とは言うものの、西洋史観的な歴史である、ということを何度も強調されていました。


ホモサピエンス、アフリカを脱する(そこからやるんだ…)

間を少し飛ばして、次はホモサピエンスの勃興と拡散の歴史。
人間のルーツはアフリカにありますが、特にケニアの造山活動による環境変化が引き金となって、類人猿は二足歩行を始め、ホモサピエンスに進化していったそうです。
このセクションで衝撃だったのは、我々ホモサピエンスは割と後の方でアフリカを脱したのであって、その前には別の種族の類人猿がすでにアフリカを出て各地に散逸していたことです。
我々ホモサピエンスは、遅れてアフリカを後にし、先住の類人猿との生存闘争に打ち勝ち、子孫を広げていったのだそうです。

加えて、アフリカを脱出するのって結構難しくて、何度も失敗して全滅してるんですって。
つまり我々は辛うじて全滅しなかった小グループの子孫ってことなんですね。
我々と似てはいるけど種族の違う類人猿との闘いや、過酷な自然環境による全滅……なんだか背筋がゾッとしました。「猿の惑星」のラストシーンみたいなゾワッて感じです。

あともう一つ面白かったのは、当時のホモサピエンスはスカベンジャーズーー屍肉を食らっていたのではないかという説があるそうで。
生肉は他の動物に奪われてしまう代わりに、骨を割って骨髄を食べていて、骨髄の栄養価が非常に高いために二足歩行などの進化が可能となり、二足歩行によって喉が開いて発音の幅がひろがり、言語が発達した……ということだそうです。
なんだか世界最大の謎は自分の肉体の中に隠されている気がして不思議な気持ちになりました。

このあと、「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」の順に、主にヨーロッパの歴史を概観していきました(すでにこのインデックス自体が西洋史観の賜物であるという注釈付きです)。


アレクサンダー大暴れの古代

古代とは、まず文字の発明があり、アレクサンダー大王による広域の国家統一およびローマ帝国の誕生と分裂があり、そしてキリスト教が生まれた時代、と総括されていました。
面白かったのは、アレクサンダー大王の東方遠征によって獲得された領地が、すなわち「文明のある土地」としてヨーロッパ人の認識に刷り込まれたという指摘です。
マケドニア王国の最大版図はものすごく広くて、中国もトルコもエジプトも、アレクサンダー大王が征服し、あるいは接触した場所でした。
一方、南方の島々や南半球は手付かずなのを考えると、確かにそうかも。
さらに言えば、ヨーロッパ人のオリエンタリズムやエスノセントリズムもアレクサンダーの記憶があるから生まれている、とも言える。
「かつて我々ヨーロッパ人がここ一帯を全部支配してたんだぞ」というように。
古代がガンガン現代にまで影響を与えていると考えると面白いですよね。

その後キリスト教が登場し、やがてローマの国教となっていきます。
この辺、ホントにコテンラジオ聴いてて良かった〜〜!となりました。


実はそんなに暗黒じゃない中世

中世は、ゲルマン人の大移動から始まりまるそうです。
ここも世界史の妙味といえるのではないかと思うのですが、
このとき地球規模で寒冷化が起こり、北方のフン族に押し出される形で、ゲルマン人がヨーロッパに進出してきます。
彼らはローマ帝国を滅ぼし、小国乱立の時代に突入。
そのうちイスラム諸国の力が強まり、イベリア半島などはイスラム国家の領域となります。
この時起こったのがルネッサンスで、ギリシア哲学をアラビア語に翻訳したものが、再びヨーロッパに逆流し、大流行したのです。
それまでキリスト教会や神の存在との繋がりでしか、正しさや美を表現できなかったのが、一転しました。
このルネッサンスがコペルニクス的転回に繋がり、それまで絶対的だったキリスト教の権威までもが揺さぶられはじめるのです。

時々、ルネッサンス期のヨーロッパ人ってどんな気持ちで古代ギリシアの遺物を見たんだろうと想像します。
たとえば遺跡の中からめっちゃ写実的な人間の彫刻が出てくる(サモトラケのニケとか)わけですよね、それってもうオーパーツじゃないですか。
自分たちの知らなかった科学が、既に古代において解明されていた、というのもなんだかゾッとしない話です。
ともかく、そういう古代との比較において中世が「暗黒」と言われてるのであって、後世の人間が勝手にラベリングしたに過ぎないのだ、ということもよくわかりました。


人間中心主義の近世

近世は大航海時代の幕開けと共に始まるそうです。
たしかコペルニクスによる地動説が、航海技術の発展に寄与したんですよね(コテンラジオの知識)。
富の蓄積が急速に進み、王権の強化が進むと共に小国が併合され、また王権神授説の援護射撃もあって、絶対王政の時代に突入。
どうでもいいですが、太陽王ルイ14世の肖像画、久しぶりに見ましたが、めっちゃ綺麗な足してますね。なんで当時あんな妙なファッションが流行ったんでしょう……。

一方で、大航海時代は世界各国の珍しい品物や動植物や見聞をヨーロッパに集めました。
そうした様々な珍品を見聞きし、整理していく過程で、ダーウィンの進化論が生まれたそうで。
思想の面では、デカルトの「我思う故に我あり cogito, ergo sum」によって、人間中心主義思想が爆誕。
政治の方面ではルソーやモンテスキューの社会契約論。
物理学の方面ではニュートンの万有引力の発見が引き金となって、"統一理論"(天界も地上も同じ物理法則で駆動しているのではないか)の追求が始まります。

これらの知の爆発が、絶対王政とコンフリクトしていくわけですね。熱くなってきた〜!


イデオロギーが人間を動かす時代、近代

ついにフランス革命が勃発し、人類初のイデオロギーベースの国家が生まれます。これが近代の始まりだそうです。
革命の波及を恐れる近隣諸外国が全員敵に回り、絶望的な戦争を強いられると思いきや、軍事の天才ナポレオンがヨーロッパ中を引っ掻き回し、なんとかセントヘレナ島へ追放するというドタバタ劇があり。
ここで面白かったのは、ナポレオン戦争の戦後処理としてのパリ講和会議が、その後の国際的な講和会議の基本となったという指摘です。
この後続発する大規模な近代国家間戦争の講和会議の予行演習だったってわけですね。

ともかくこの戦争以後、国家と国民との関係がより直接的なものとなり(封建制の終焉)、一方で植民地経営が軌道に乗り、帝国主義の時代に入っていきます。
自由主義経済もこの頃生まれ、各国は理想の市場を求めてアジアや南米に殺到。
やがて列強同士の思惑がぶつかり、第一次世界大戦・第二次世界大戦へとエスカレートしていきます。
戦後、ようやく平和が訪れるかと思いきや、今度は米ソのイデオロギー対立=冷戦がスタート。
フランス革命からずっと、人間がイデオロギーに振り回されっぱなしになるのがこの時代のようです。


構造主義の登場!現代の幕開け!

えっそこで「近代」と「現代」を分けるんだ!?と、最後にちょっとしたサプライズがありました。
室越さん、クロード・レヴィ=ストロースの登場以降を「現代」と区分されるのですが、その意味は「人間中心主義からの脱却」にあるそうです。

"世界は、人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう"

『悲しき熱帯』からのこの引用、私も大好きな言葉なのですが、これが近世から連綿と続いてきた人間中心主義の終焉のサインだというのです。

ここでサルトル・カミュ論争の話になるのですが、私もこの話大好きなので、少し補足しながら説明させてください。

当時フランスの一大関心事であったアルジェリア独立戦争について、サルトルは実存主義の立場から独立運動(この場合、暴力革命)を支持すべきだと主張します。実存は本質に先立つ!グズグズ言ってないでアンガジ(寄与)せよ!というわけです。
しかし友達だったカミュがそれに反論し(非暴力主義者なので)、泥沼に。
そこに突然、レヴィ=ストロースが『野生の思考』という本の最後で、カミュと論争していたサルトルを批判したのです。
当時サルトルは知の巨人とか言われてたので、レヴィ=ストロースの痛烈な批判に「なんやコイツ?」って反論しようとするのですが、うまくいかず……。
結果的にレヴィ=ストロースに軍配が上がったのでした。

サルトルは共産主義者であり、唯物史観をインストールした人物だったので、囲い込み→プロレタリア発生→ブルジョア革命→プロレタリア暴力革命→共産主義の実現……みたいな1本線の歴史観に立ってアルジェリアの暴力革命を支持していたのですが、
レヴィ=ストロースは、それって"未開民族"が神話を信じているのと一緒じゃない?って指摘しちゃったんです。えぐい。

ここで室越さんの説明に戻ります。
デカルト→カント→マルクス→ヘーゲル→サルトルの肖像画が(すみません、間にもっと居たかも)スライドで提示され、
基本的に全員「野蛮→未開→文明」の歴史観を共有していると説明されました。これを進歩史観といい、レヴィ=ストロースはこれを弾劾したのだと。
なんとなく構造主義はマルクス主義へのアンチテーゼだと思っていたので、実はもっと広く、デカルトから脈々と続いてきた人間中心主義へのプロテストなのだという指摘に、「たしかに!」となったし、歴史の壮大さを感じて妙に感動してしまいました。

このあと構造主義のそれぞれの分野で活躍した人ーーフーコーやロラン・バルトなどの説明、ポストモダンの人々(と、一括りにしてはいけないのでしょうが……)のことまでたっぷり説明していただきました。
ただ、このあたりは私自身が構造主義を脱構築できていないため上手く説明できそうにないです……。
そして定刻よりおよそ30分オーバーで「ざっくり」あらため「がっつり世界史」講義が終了。
ものすごい情報量だった……!


しなやかな文化人類学

このあと質疑応答に移ったのですが、その中で印象に残ったことを少しだけ。

”左翼”による”右翼”への攻撃は「現代のラッダイト」みたいなもの

実際はボソリと喋られたのですが、この発言、じわじわ染み入りました。
昨今クルド人へのヘイトや家父長主義への懐古など、ネット上でたくさん目にするようになりました。
これに抗議し、反論し、社会的正義を求めていく動きは何よりも大切なことだということを念頭においた上で、
とはいえ、左翼の側も何かオルタナティブを提示できているわけではなく、時としてやってることが産業革命時のラッダイト運動に等しい時がある、という鋭い指摘だと思います。
そうならないように、ただ批判して満足するだけの人間にならないようにしなくちゃ、と自戒しました。

あとこれは私が質問したことなのですが、サルトルの"アンガージュマン"みたいな主張に対して、構造主義は社会的正義の実現のための行動にやや消極的に見えるというか、
社会的正義の形も相対的だというなら、それを実現するために活動することそのものに対して距離を置くことにならないか?と思ったのですが……

室越さんの答えは、そこは切り離せるはず、という事でした。
その例として、室越さんの指導教官に当たる方が、調査対象である地方の若者達のために、首都にアパートを借りて出稼ぎ時の宿を無償提供している、ということを挙げておられました。
なんだかそれを聞いて「しなやかだな」って思いました。
私が想像する(そして実際学生時代にやっていた)デモを組織し、アジビラを撒き、シュプレヒコールを上げるやり方よりもずっと自由で、やわらかくて、個人に寄り添ってて、温かく感じる。
あらためて文化人類学っていいなって思いました。


この日はスライドが120枚もあったそうで、到底全部の内容を記事には出来なかった……というか半分以上端折ってしまってるのですが、以上が1日目の内容でした。
質疑応答の時、誰も話さない沈黙の時間がときどきあったのですが、皆さん脳をクールダウンしていたんじゃないかと思います。それくらい濃密でした。
これ、全部ムロさんが1人で喋ったんだと思うとやっぱり只者ではないなと思います。さすがの知性です。

それから、コテンラジオ本当に聴いててよかった!聴いてなかったら半分も理解できていないか、忘れちゃってる事ばかりだった気がします。

さて翌日は「ざっくり人類学」の講義。
この日のためにありったけのレヴィ=ストロース関連本を読んできた私の予習は役立つのか!?

乞うご期待ください。

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