事実の集合である世界はある時刻において真となる事態の集合である。 時刻が変化した場合、事実の集合の形(真となる事態の組み合わせ)は変化するため、それはまた別の世界である。 いわばすべての時刻座標それぞれに事実の集合というある種の空間状態が保存されている。 それゆえ世界とはその瞬間である現在のみを描写する。 そして、世界の変化に伴う時間の変化そのものは世界の内に存在するものではなく、世界とともに存在するものである。 ゆえに時間の変化が連続的であるか否かを示すことは不可能であるう
ソシオニクスと認知スタイル ソシオニクスには次の4つの認知スタイルがあるとされる ・因果論的決定論的認知(静的、肯定主義、プロセス) ーILE,LSI,SEE,EII ・ホログラフィックパノラマ的認知(静的、否定主義、結果) ーLII,SLE,ESI,IEE ・ヴォーティカルシナジェティクス的認知(動的、肯定主義、結果) ーESE,IEI,LIE,SLI ・弁証法的アルゴリズム的認知(動的、否定主義、プロセス) ーSEI,EIE,ILI,LSE この記事の中で論じ
論理的に語り得ぬこと それは論理空間に存在しない(論理形式を持たない)ものである。 「語る」というのは論理哲学論考において、論理的に表現することであり、それは文章が有意味な論理命題であることと同値である。 論理的に有意味でないならば、それは語り得ない。 文章が有意味な論理命題であるならばその真偽を問うことができる。 真偽を問うことができないならば、論理的に有意味でない。 つまり真偽を問うことができないものは、語り得ない。 真偽を問うことができないものとはなにか 例えば、「
論理哲学論考においてウィトゲンシュタインは論理空間という概念を用いた。 論考の世界観を細かく説明しているとかなり長くなるうえ、複雑である。 なので簡単に説明するが、自分の意見を述べたいがための簡単な予備知識程度なので、これが論考の世界なのだと考えないでいただきたい。 論理空間には事態がある。 事態の集合ともいえるものが論理空間である。 そして事態とは現実に起こりうるものごとの総体である。 つまるところ真偽を問える文章(命題)が事態であり、事態の中でも現実に成り立っているもの