日本の伝統色、煮色 |青銅のテーブルウェアー EN 1989
高岡の伝統工芸の紹介に、こんな記述がある。
高岡の伝統工芸は職人を問屋がマネージメントしてマーケットと職人を結びつける優れた仕組みを持っていた。江戸末期にはすでに海外輸出に目を向けて横浜を拠点に貿易の途を開いていたという。明治初期には銅器問屋たちがアートディレクターになって市場を意識した図案を提案したり品質の改良をして明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会、明治11年のパリ博覧会、18年のニュールンベルグ博覧会など世界の万国博覧会で名声を博していた。
高岡銅器はそれほど優れた歴史を持っている。明治以後、加賀藩の職人が象嵌などの表面装飾に協力をしてきたこと、その上、パリからの情報に基づいて、ヨーロッパの市場性を研究していたことなどがその当時のヨーロッパに日本ブームを起こし、ジャポニズムが起こっている。
残念ながら現代では伝統的工芸としての銅器は次第に衰退している。経済産業省の指導で安価な表面処理技術を定着させたりしてきたのだが、それがかえって、高岡銅器の美術的質を落としてきたと言えるだろう。
僕がここで取り上げた「煮色」の技法はそのような時代の風潮の中で、次第に衰退していこうとしていた伝統的技術を再興させようとする努力の一つだった。煮色とは銅の合金を特殊な組成に調合して、ある特殊な薬液に反応させて美しい文様を浮かび上がらせる手法である。銅合金の組織が偶然性そのままに多様な輝きをもつ色彩と文様を浮かび上がらせるのだ。始めて見たときには本当に感動したことを記憶している。ここでは一つの色彩だけなのだが、合金の内容や薬液の種類によって、赤い色や黒い色など多様な表面が現れる。一人の職人は一つの色彩のノウハウをもっていて、あの職人はこの色、この職人はこの色というまさに職人の秘密の技だったのである。
小さな木造建築の土間に小さな窯があり鍋に「不思議な液体」がはいっている。その液体はその職人だけが開発したもので、ネズミの糞をこれぐらい入れるといい・・・とか、当時の神秘的な工夫が支えていた。僕は自分好みの一人の職人を選び、このシリーズの制作をお願いしたのである。
これをまとめたのが高岡の問屋の一つだった竹中製作所だ。その当主だった竹中時蔵さんが、僕のこの気持ちに応じて販売の予定のないままに制作してくれた。
ニューヨークでも展覧会をしたり、テレビで放映されたり、出版物になったりしたのだが、事業としてフォロー出来てはいない。類まれな職人の奇跡的な技と、僕の情熱と問屋だった竹中時蔵さんの男気がこれを生み出したのである。
奇跡なのだろう。そんな奇跡が可能な時代でもあった。今ではこの技術はすっかり高岡から消えている。竹中製作所も活動範囲を時代に応じて変化させて、いまではこの奇跡を生み出すこともできなくなっている。
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《黒川 雅之》
愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー。
早稲田大学理工科大学院修士課程卒業、博士課程修了。
卒業後、黒川雅之建築設計事務所を設立。
建築設計から工業化建築、プロダクトデザイン、インテリアデザインと広い領域を総合的に考える立場を一貫してとり続け、現在は日本と中国を拠点に活動する。
日本のデザイン企業のリーダーが集う交流と研究の場 物学研究会 主宰。
〈主な受賞歴〉1976年インテリアデザイン協会賞。1979年GOMシリーズがニューヨーク近代美術館永久コレクションに選定。1986年毎日デザイン賞。他、グッドデザイン賞、IFFT賞など多数。
クレジット
タイトル写真:清水昭