黒川雅之 / Kurokawa Masayuki

1937年生まれ。建築家/プロダクトデザイナー。 日本デザインコミッティーメンバー、製品デザインから販売までを行う《K ブランド》、物学研究会* 主宰。 オフィス:東京/天津(中国)   * 日本のメーカー企業のデザイン部やフリーのデザイナーが集う研究と交流の場

黒川雅之 / Kurokawa Masayuki

1937年生まれ。建築家/プロダクトデザイナー。 日本デザインコミッティーメンバー、製品デザインから販売までを行う《K ブランド》、物学研究会* 主宰。 オフィス:東京/天津(中国)   * 日本のメーカー企業のデザイン部やフリーのデザイナーが集う研究と交流の場

マガジン

  • 物学研究会 / 物のデザインを考える

    黒川雅之が主宰する物学研究会は日本のデザイン企業の商品企画やデザイン部門のマネージャーが集い定例会を軸にさまざまな活動を展開しています。

最近の記事

原初思想|僕の建築家人生を総括する理論の構築

まだまだたくさんの仕事をやってきた。昔を拾い出して思い出しながら今を語ることは楽しいのだが、そろそろ100回を超えたのだから次の段階に入りたいと思うようになった。考えてみるとこの未来への遺言もコロナのお陰だったと思う。積極的に生きているとあらゆる事件がいつもチャンスをくれる。この未来への遺言もそうなのだが、物学研究会も古い皮を脱いで新鮮な気持ちで未来に向かうことができている。 この先に、次に始めようとしている「原初思想」を語るのも毎週一回という訳には行かないのだが、一年はか

    • HEREという会社|食器・茶器・酒器をデザインして販売する会社のデザイン

      自分自身の設計事務所も会社なのだが、新しい企画が始まってその組織をつくるとなるとその在り方をはっきりさせなくてはならない。設計事務所は設計を進めやすくするための組織なのだから、ほんとんど身体感覚で自分の手足を増やし、頭を複数にして深い成果が生まれるように、色々現実的な問題を考えながら少しずつ改変させていくことで済む。ほとんど組織とは自分の身体という感じなのだ。 しかし、僕は自分自身の主要なテーマである「デザインをする」という目的を拡大するために色々な手を打ってきた。その一つ

      • 物学研究会|物学の構築とその研究会

        「物学」という概念は僕のオフィスが目白にある頃だから半世紀前のこと、東大の学生運動の連中が訪れてきてその会話から生まれたものである。僕がなんとなく探していた概念だった。その頃から僕は「物」という概念で世界を構築しようとしていた。理論も実際にも・・・。建築という領域が次第に溶け出している実感があり、プロダクトから都市まで建築を中心にトータルな概念で表現し理論化することを目指していた。そんな時に確か、結城君という学生の口からこの言葉が漏れてきたのを拾った気がしている。妄想だったの

        • 海に浮かべる建築|浮上港とハウスボート

          30代の前半、若い時代の作品である。ハウスボートはいつものようにクライアントのいない自発的プロジェクト、もう一つの浮上港は太陽工業が主催するキャンバスによることを条件としたコンペティションでグランプリを頂いた作品である。もう半世紀以上前の作品だから、僕の青春の血流が透けて見える。 ハウスボートは三つのキャビンがフロートとなり、その上にウッドデッキを乗せた構想で、中心部にフロートをも兼ねるシャフトが立っている。土地の狭い日本だからもっと海を利用するべきだと構想したプロジェクト

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        • 物学研究会 / 物のデザインを考える
          1本

        記事

          乱れた棚|組み立て式「乱棚」2017

          バラバラの乱雑な構成はまさに中国の乱格子に似ている。乱の発想はどこから来たのだろう。我々の世界には「乱れたもの」と「整頓されたもの」 の二つがある。エントロピー(熱力学)の視点からは「全ては自然に放置すると混沌に還る」という原理がある。全て放置すると混沌(乱れたもの) に還ると言うのだ。確かに、人でもいつか死に混沌に還る。それなのに人や生きものは常にこれに反抗していると福岡伸一さんはいう。生きものの 細胞は分裂することで死に対して反抗している。 人も、人を含む生きものも、常

          乱れた棚|組み立て式「乱棚」2017

          逆光の棚|アルミニュームの棚システム LATTICE 2016

          僕のアイディアは技術的発想であることが多い。職人の場合は、素材があって、その素材の加工を通じて技術が磨かれ、魂にまで到達するのだが、僕もそれに似ている。素材が先ずある、それに伴って技術的発想が生まれるのだ。多分、僕は素材にある種の「魂」を感じているのだろう。素材への思いが強くて、それが出発点になる。最初に夢中になったのがゴムだった。多分25才位の年齢だった。そこからさまざまなゴムの作品が生まれている。 ゴムの次にはFRP、アルミニューム、そしてチタン・・・と僕の関心は様々な

          逆光の棚|アルミニュームの棚システム LATTICE 2016

          フィーノという潜水具 1994

          この潜水具はニューヨークの近代美術館やモナコ海洋博物館に優れた作品として保存されている。日本のあるベンチャー企業が立ち上げ、製品化のデザインを中西元男さんを通じて依頼があったプロジェクトで、多くの人々がこの発想を支持していたのだが、最後には事業化には失敗している。 その内容は素晴らしい。普通、潜水夫は空気を圧縮したボンベを背負って海中に入る。地球上の空気(大気)の酸素の含有量は21%で、ほとんどは窒素(78%)であるから、圧縮した空気を大きなボンベに入れて海中に入っても10リ

          フィーノという潜水具 1994

          ロールスロイスの似合う家|高原邸 1977

          次男の僕は兄弟三人が建築家だから色々自由なのだが不遇でもある。いや、不遇はない、いいところが取れないという意味だ。兄は先に建築家になったのだから、そして長男なのだから故郷の仕事は父の後は兄が取る。中学も高等学校の関係もやはり兄がチャンスを持っていく。兄弟や親戚さえも、次男には回ってこない。これは不遇である。三男の弟は兄も僕も父の建築事務所を継がないので、幸か不幸か跡を継いでくれている。そんな意味では次男は孤立無縁なのだ。自由でもある。 家族が全部建築家というのは問題が多い。

          ロールスロイスの似合う家|高原邸 1977

          小湊湾を見下ろす別荘|林邸 1980

          もう100回を超えてしまった。漠然と100作品と考えていたのだが、こうして100回を終えてみると、懐かしい思いだけではなく辛くもなってくる。そもそも最初からちゃんと代表作100点を選んではいない。実に非計画的にフッと思い出したものを拾っている。一つずつが命を賭けた仕事だったのだし、一人ひとりのクライアントとは真剣勝負だった。それなのに、その後、このたくさんの人たちと交友が続いているわけではない。 人間関係って、寂しいものだね・・・、と思いながら今更感謝の気持ちを拭えない。あ

          小湊湾を見下ろす別荘|林邸 1980

          建築を裏返す|アトリエオンダ 1987

          都市を考え、建築を考え、プロダクトを考えていると一つの大きな思想が見えてくる。人がここにいて、人とそれらの関係は都市も建築もプロダクトも同じものに見えている。それは単純に「物」としての存在と「空間」としての存在の2つである。物は僕の外にあって僕はそれを対象化している。外にあるから壊すこともできるし捨てることもできる。空間は僕を取り巻いている。取り巻いているから壊せないし捨てることもできない。空間は求心的にエネルギーを僕に放射しているのだが、物は僕とは関係なく物自体がエネルギー

          建築を裏返す|アトリエオンダ 1987

          牧草地の建築|ユニ東武ゴルフクラブ、クラブハウス 1993

          北海道の由仁にゴルフ場ができる。そのクラブハウスを僕が設計することになった。雄大なスロープの牧草が波打っている。こんな美しい風景はそのままにしたいと思うのだがそうもいかない。どんな建築にするか、それはその敷地に立って考え始める。考えると言うより感じ始めると言ったほうがいいだろう。 できる限り目立たない施設にするしか方法がない。対決してはこの土地の持つ魅力が壊れてしまう。長い時間が作り上げた風土には頭を垂れるしか方法がない。これは単に自然の美しさではない、時間が、風が、太陽が

          牧草地の建築|ユニ東武ゴルフクラブ、クラブハウス 1993

          初めてのクラブハウス|大金ゴルフクラブ 1988

          ゴルフを始めたのは建築家の中ではかなり早い方だった。クライアントで友人だったシングルプレイヤーが僕をサイパンだのシンガポールだのと連れ出して特訓してくれたのが始まりだった。スポーツはしないものの運動神経はいいほうだと思っていたのだが、やはり身体を使いこなすことに慣れない僕はなかなか上達しなかった。しかし、建築家だから根源から考えることに慣れている。その上、構造力学だのの基礎知識があるのだから勢い理論が先走る。理論的にはシングルプレーヤーだと豪語して笑われていた。ハワイの別荘で

          初めてのクラブハウス|大金ゴルフクラブ 1988

          コンクリートの箱|CASA VITA2012

          九州の福岡で、CASA CUBEという建築システムを生み出した元気な事業家と出会うことになった。彼は縦長の窓があるだけの現代建築の常套手段である連続窓を否定する箱型の家を主張して、設計から工事、部品の販売までビジネスを積極的に展開していた。それが気に入って、僕は彼に接近する。僕はこのように挑戦する人が大好きなのだ。僕自身もそうなのだから当然のことなのだろう。 付き合いながら僕は長い間温めてきた一つのアイディアを彼にぶつけることになった。それはPACK-IN SYSTEMと称

          コンクリートの箱|CASA VITA2012

          書院造を形鋼でつくる|佐伯邸 2003

          100☓100ミリの細いH形鋼で、それをまるでヒノキの木材に見立てて書院造の空間を再現している。見立てるといっても構造は全く鉄骨の構造として合理的に設計しているからブレースだってあるし、木造とは異なる大きなスパンで内部が広々とつくることができる。外壁は工場用に開発された両面に鉄板をはって断熱材を内部にもつ複合材である。それだけで相当大きな断熱ができるから壁は僅か60ミリの厚さである。 日本の書院造はある意味正統派の日本の文化である。樹木に対する棟梁の深い想いは大自然を象徴化

          書院造を形鋼でつくる|佐伯邸 2003

          軽い建築| 美和ロック玉城工場 1990

          これほど鉄骨造で軽量化に成功した建築はないと思っている。構想のアイディアも構造設計も佐々木睦朗によるもので、後に、松井源吾賞を受賞している。佐々木睦朗さんはいまでは世界で突出する構造家で、多くの世界的な建築家に協力している。建築の構造設計とは法律に基づいて、大きな地震や強風に襲われてもそれに対応できるという力学的な問題や、構造コストの低減だけではなく、その構造自体が建築の主要な美意識に直接的に関係してくるのだ。 樹木が美しいのはその構造が美しいからであるし、美しい吊橋なども構

          軽い建築| 美和ロック玉城工場 1990

          広場の中の金属の屋根| ヨットハーバーと公衆便所 風の翼 2000

          僕はこれまで、建築とプロダクトの中間的な存在の設計をいくつかやっている。数多く、と言ってもいいかも知れないほどである。これまで報告した、21世紀を記念する富山県の「風と光の塔」もそうだし、千葉県のポートタワーとテント構造の野外劇場もそうである。プラスティックの建築「パンドラ」、アルミニュームの建築、自分たちでつくったSYSTEM-CUBEは自分の別荘だから実験ができたのだが、これだって10坪程度の小さな建築であり、プロダクトとの中間的存在である。中間的だから製造する企業も中間

          広場の中の金属の屋根| ヨットハーバーと公衆便所 風の翼 2000