私の「時間がない」の正体は「さほどやりたくない」だった。
やりたいのに、できない。
その原因は「時間がない」「忙しい」だと、ずっとずっと思っていました。
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毎日やりたい、もしくは毎日じゃなくとも定期的にやりたい、習慣にしたいと思っていること、皆さんはありますか?
私は、わりとたくさんあります。
毎日noteを書く。本を読む。Instagramを更新する。Vlogを撮る。
どれもこれも「やりたいな」と思いつつ、そのための時間を上手く捻出できなくて、「いつか落ち着いたら」「この仕事が終わったら」「来月になったら」と先延ばしにして、やりたい気持ちだけを温めています。
今の私は忙しいんだ。
noteを書くとかVlogを撮るとか、そんなの時間にゆとりのある人だけができることなんだって。
「やりたいのに、今の自分にはやる時間がない」と感じて、たま〜にnoteを開いてはできない理由をツラツラと述べたこともあります。
「どうすれば趣味や新しい習慣をはじめられるだけの時間を作れるんだろう」と悩んで、時間術とか習慣術について調べたこともありました。
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さて、最近の私はというと、なんと毎日本を読んでいます。
読書は「やりたいのにできない」と思い続けていたことのひとつ。
「時間がないから」を理由に、買ってきては放置する積読が増え続けていたのですが、ある本を読んでみたことをきっかけに読書が楽しくなって、毎日朝・晩に読書タイムを設けています。
あれ?私、本読む時間あったんじゃん。
ずっとずっと「私は仕事が忙しいから本を読む暇なんてない」と思っていたんです。
でも、実はその時間はすでに十分に持っていたみたい。
というのも、ここ数週間毎日読書をしているけれど、別に本を読むために私生活の中で意識的になにかを削ったり、仕事を休んだりしているわけではないんですよね。
カレンダーに予定やTo Doを書き出して、ムダを見つけて省いて……なんてことは一切していなくて、ごく自然に、気がつけば毎日本を読んでいました。
それができた理由は、ただ本を読みたいからです。
続きが気になるから。本に没頭して現実と違う世界に行きたいから。
細かい理由はたくさんあれど、結局は「ただ読みたい」、それだけなんです。
人って、本心から「やりたい」と思ったときは、タイパ術とか習慣術とか関係なく、自ずと行動するものなんだと思い知りました。
もっと冷静に、現実的に分析してみると、今読書にあてている朝晩の時間は、以前はおそらくスマホを見ていました。
ちゃんと記録したわけではないし、無意識レベルで消化していた時間なので確信はありませんが、多分そうです。
よく「ダラダラスマホを見ている5分や10分を見直すだけで人生変わるよ」と聞きますが、まさにそのとおり。
でも「スマホを見ないようにしよう」と努力して捻出した5分10分は、きっと続かないんだろうな、とも思うんです。
本当にやりたければ、無意識レベルで自らムダを省くはず。
それをしないということは、口では「やりたい」といいつつも、本心では「さほどやりたくない」「面倒くさい」と思っているのかもしれません。
noteも30分もあれば書けるし、Instagramの更新なんて5分くらいで終わるし、Vlogはちょっと時間がかかるかもしれませんが、週に1回カメラを回すくらい、時間的にはなんてことないはずなんです。
それをやらないということは、きっと私の本音は、noteも毎日というほどはやりたくないし、Instagramも面倒臭いし、Vlogはもっと面倒くさい。
「できない」ではなく「面倒だからやらない」を自ら選択しているのだと気がつきました。
「やらない」の理由が本当にただの「さほどやりたくない」なのか、日々のアレコレに圧迫されて「面倒くさい」にすり替わってしまっているのか、次はそれを見極めていくのも面白そうです。