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手術室でメスを渡していた私が、1年でコンサルタントとして独立するまで


私は今、アパレルブランドの事業部長やPR戦略立案、撮影ディレクション、個人でのブランド立ち上げ、ニュースメディアのSNS運用等、様々なお仕事をさせていただいています。(2023.7現在)

最近では、私のように未経験から独立したい人に向けて、サポートを始めました。

約2年前までは総合病院で手術室の看護師をしていたのですが、仕事をする上でこの経歴をお話すると驚かれることが多いです。

ビジネスのスキル0の私が、コンサルタントとして独立するまでのこれまでの経緯と私の成功マインドを綴っていこうと思います。


1.看護師からのキャリアチェンジ


なぜ、看護師を辞めたの?と聞かれることが多いが、大抵「飽きたから」と答えている。


正確には、ルーチン化した業務に変化がなく、物足りなさを感じたから。
これは詳しく書くと長くなりそうなので、また次回にでも。



看護師を離れるなら、アパレル関係の仕事をしたいとなんとなく思っていた。
大学時代は、バイトでショップスタッフをいくつかしていたし、そこのブランド公式スタッフとして"WEAR"を始めたら1週間くらいでフォロワーが1万人に増えたこともあり、なんとなくできる気がしていた。


とはいえ、アパレルブランドにそのまま勤めたらショップスタッフから本社に上がるのに2年はかかると考え、希望就職先を代理店に絞った。


奇跡的にwantedlyを知り、奇跡的に見つけた会社にエントリー。


▼その時受けた部署の業務内容がこんな感じ
・統合コミュニケーションプランニング
・ブランディング戦略
・パブリック・リレーションズ(PR)
・ソーシャルメディア戦略
・デジタルコンテンツ開発
・エクスペリエンスデザイン戦略設計
・キャンペーン/イベント企画立案

カタカナだらけで仕事の内容を9割以上理解できていなかったけど、クライアントが知っているアパレルブランドばかりだったので、とりあえず応募した(笑)



期日ギリギリに履歴書をメールで送信すると、締切の5時間ほど前に
「職務履歴書が添付されておりませんでした。お手数ですが、もう一度お送りいただけますでしょうか。」と返信がきた

職務履歴書?はにゃ?

病院へ就職した際、履歴書しか書いたことがなかった私は、そこで初めて
”職務履歴書”の存在を知った。


現在12時。タイムリミットは17時

オペの合間を見計らい、ググってテンプレートをゲットし、とりあえず適当に書き、タイムリミット15分前にメールで返信。

覚えていないが、内容はひどいものだったと思う(何を書いていいのかすら分からず書いていたのだから尚更)



入社後、代表に言われたのは、
「履歴書は本当に面白かった。人事がゴミ箱に捨てていたのを拾って、面白そうだから俺が面談に通したんだよ」と。

(何が面白かったかというと、ベストボディージャパン地区大会3位とかを平気で履歴書に書き、やる気と胆力だけはありますアピールをしていたからだ。ある意味、無知でよかったのかもしれないw)


そんなこんなで初めて受けた会社が最終面接まで通り、その後すぐ、東京から地元に戻る新幹線の中で採用の電話をいただいた。

ここで採用されていなければ、今の私はいないだろう。本当に代表には感謝しかない。


これが2月の頭。看護師を辞める決断をして1週間くらいしか経っていなかった。



さあ、就職先が決まったものの、
ここから親に説明(説得)しなければならない。


・1ヶ月後に今働いている病院を辞めること
・そして看護師を辞めること
・次の職場の内定を受けていること
・そこは医療系ではなく広告代理店だということ
・そしてその職場が東京であること

全て親にはLINEで事後報告をした

(母は厳しかったので、怒られるのが嫌だった)

数時間後には両親が実家から車で1時間半くらいの私の家に飛んできた


高い学費を払って看護大学に入れて、夢だった看護師になることができたのに、突然そんなことを言われるなんて両親も想像していなかっただろう

ましてや安定思考の母には看護師を辞めて東京に行くなんて理解できない領域だったと思う


だからこそ、絶対反対されると思って事後報告をしました

(ごめんなさい)



どう親を説得したか

この時、私はアパレル関係の仕事をすること以外にもうひとつ夢があった

それは、漠然と"手術をしたい"ということ


▼手術を施行できるようになるにはおそらく方法は2つ

1つは医学部を受験し、大学に6年通い、医者の国試を受け、研修医を2年、晴れて外科医になる方法

もう1つは、執刀医まではなれないけれど、医者の指示なく医療行為が行える看護師になること(大学院に入り、"診療看護師(NP)"になる方法)

私は、後者なら可能なのかもしれないと考え、それを両親に話してみた



両親は、それなら... と、東京に行って会社で働く最初の1年間を準備期間とし、その間に大学院を受験することを条件に東京行きを許してくれた。

(今思えばコンサルタントとしての交渉能力はこうゆうところから身についたのかもしれない笑)


代理店の同僚にも代表にもバレないようにしていたが、朝早く出社し、生理学や解剖学の勉強をする毎日だった

受験は8月。7月には新規プロジェクトをメインで行なっていたので、忙殺されている中の受験は本当に辛かった

倍率は30倍くらいだったと思う。面接で、なぜ今看護師をしていないんだという質問をうまく返す方法だけを必死に考え、なんとか持ち越したが、結果は不合格だった。

挑戦したことに意味があったと思いたい。笑


2.医療現場から広告代理店へ

話を戻すと、看護師を辞めた時がコロナの真っ只中の3月。代理店に就職して2日目には、緊急事態宣言が発令されリモートになった

代表からは、メールの書き方についてや、社会人としてなんちゃら〜みたいなslackが頻繁に届いた

数日後には、ビジネスに無知すぎる私に以下のような本がダンボールに30冊ほど詰められて自宅に届いた笑

・コンサル1年目の教科書
・KPIとは何か
・マーケティングとは
・デジタルマーケティングとは
・Excelの使い方
・PowerPointの使い方
・Googleアナリティクスについて


この頃の私は、Macのショートカットキーすら知らなかったので、全く使い物にならず、入社1ヶ月は毎日本を読んで終わった。

このお陰で、本で学ぶ楽しさを知り、今でも毎日本を読む習慣が付いたし、「分からないことはまず本に聞こう!」というスタンスになった。笑


初めてのことだらけでうまくいかず、家で泣くこともよくあったけれど、それよりも雑誌で見ていたモデルや、好きだったYouTuberとの仕事ができること、未知なことを経験できる楽しさが優っていた。

本を読むことが大好きになった私は、毎日1冊本を読む習慣ができ、代表に、社員におすすめの本を広めるインプット隊長的なものにも任命された。笑


代表は私の性格をよく理解していて、いつも「ちょっと無理をしたらできる案件」を任せてくださり、まずは考えることを身につけてくれた


考え、挑戦し続けることで、ひとりで案件がこなせるようになり、冬にはインターン採用の人事面接もするようになった



そんなこんなで年が明け、1月。
また、看護師を辞めた時のあの感情(ルーチン化に飽きた)が再来したのである

育ててくれた代表には本当に申し訳ないが、色々あって、別の企業に転職した。


が、方向性が全く合わず、すぐに退職を考えた。笑
もう2度も退職を経験していたので、退職の怖さは1ミリもなかった

しかし、まだ入社して1ヶ月 w
ましてや、企業から声をかけて頂いての入社だったので、2週間程説得され続けた。


それでも、これ以上時間は無駄にできない。

すぐに退職できる方法を考えていた時、テラスハウスに出演していた新野さんがされている退職代行サービスのことを思い出した

外部にいる人間が退職代行できるのに、内部にいる人間が退職できないなんてそんな話はないはず、と思い人事課にメールを入れた


「お疲れ様です。
仕事内容が合わず、上司に退職を申し出ているのですが取り合ってもらえない状況です。
すぐに退職をしたいのですが、まだ試用期間中のため有給もないと思います。どうしたらよろしいでしょうか。」

こんな内容だったと思う。

すると、「本日付けで退職が可能です。どうされますか?」と返信がきた 

こんな簡単に会社って辞められるんですね。
即答で、その日付けで退職した。


3.私の人生を変えた"ドMマインド"


さあ、会社を辞めたけど仕事がない!


次の職場を探す気にもなれなかったので
フリーランスとして生きていく決心をした(半ば無理矢理)

もう一度言うが、この時仕事はゼロである(笑)

壮絶なフリーランス人生が始まったけど
2ヶ月前に代理店を辞めた時に、多くのクライアントさんから

「何かあれば連絡してくださいね、ミクさんと仕事をしたいと思う人は多いと思います」

と仰っていただいていたのでなんとかなると思っていた。

なんとかならなくても、看護師バイトでなんとかなると思っていた。


能天気な性格で本当に良かったと今は思う。


母から教わったこと

私は、幼い頃から「ミクならできる!」と母に言われて育ってきた

代わりにどんな習い事でも挑戦させてくれた母には感謝しているが、
(小学生の頃は、週6で習い事をしていた)

だからこそ、何でも挑戦しようと思えるし、「やればいつか必ずできる」という根拠のない自信がある。


夢は自分でしか叶えられないし、”いつか”は一生やってこない
夢は自分から掴みに行くしかないし、行動するしかない

何かを変えたいと思うなら、変えに行かないと変わらない


私はとてもわがままだ
自分の感情に嘘はつけないし、好き勝手やっている

感情のままに行動し、時に無茶をするが、結果いつも楽しんでいるから
「ドMだよね」ともよく言われる。

でも、それでいいと思う

自分を信じること。自分に正直になること
自分を認めてあげて、思いのままにやってみること


これが、なりたかった自分になるまでの"ドMマインド"である


4.怖さから解放されて自由に


衝撃のフリーランスデビューからもうすぐ1年が経つ


今、私に怖さはほとんどない。

それは、大きな、大切な、自分の誇りとも言える看護師の仕事を手放すことができたからだと思う。

あの時、悩んで悩んで悩んで、答えが出なかった。
どうしていいかもわからなかったけれど、ただ自分の心の声に向き合った。

後悔するかもしれない。それでも変わることを願い手放した。


人生の選択に迷った時、どん底まで落ちた経験から(こちらも詳しくは次回)、死ななければなんでもやってみたらいいやと思うようになった。


ひとりで仕事をするようになり、私は何者でもないけれど、個が集まれば大きな力になることも知った。

会う人会う人に自分の夢を話すようにしていたら、周りが一緒に夢を叶えてくれるようになった。


夢は諦めなければ叶うのだ


今、この文章を読んで、ミクだからできるんだ、と思う人もいるかもしれない。でも私も看護師をしていた時は、周りが死ぬほど羨ましくて嫉妬もした。


ついこの間まで看護師をしていた私が、今こうして好きな仕事をしているのは、ただ夢を諦めなかったからだと思う。


そして今も、まだまだ夢の最中である。



最後に、今の一つの夢を。

「このnoteから書籍を出版すること」が今の夢。

看護師を辞めた時に心に決めたことを、このnoteを通して叶えたい。



長くなりましたが、夢を叶えたい人の、些細なきっかけになると嬉しいです。

miku


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