死の呪いについて考える。
アバダケダブラ!!!
こんにちは、ねこやまです。
とんでもねぇ書き出しで失礼しました。
アバダケダブラはハリーポッターに出てくる死の呪いです。即死します。ヴォルデモート卿がかけまくってた魔法ですね。最悪です。
先日、友人のラジオにて
「この世の全ての生き物は生まれた瞬間から死の呪いに掛かっている。」という話が出ました。
生まれた瞬間からいつか死ぬ事が確定しているという事です。
そしてこの話から思考を巡らせた別の友人は
「死があるから、限りがあるから色んな事をやろうと思える。」と言ってました。
死生観というものは人それぞれです。
その人の人生ですから、どう向き合うのかというのは、その人次第なのです。
私は死の呪いについてどう考えるか。
まず『呪い』とは思っていなかった。
生き物は必ず死ぬ。曲げられない死へ向かうレール。
けれどもそれを呪いとは思って来なかったし、
これからも思わないだろう。
はてさて、どう考えようか。この死の呪いについて。
十代〜二十代前半の私は
とにかく『生まれてきた意味』について考えていたように思い返す。
何のために生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんてそんなのはいやだ!!
これはアンパンマンの歌詞ですね。
すげぇいい事言うじゃん。と多感な時期の私は思ったわけですね。
でも今の私が思うのは
答えられなくたっていいんじゃない?という事。
こうやって生きていく!!
この為に私は生まれたんだ!!!
と既に思えている人はそれでいいんです。それがいいんです。そのままのあなたでいて下さい。
でも、だけど、答えが見つからない人はだめだよって事にはならないじゃないか。そうだろう?アンパンマン。
あの歌詞を私のような捻くれた人間が読むと
揚げ足をとってしまうのですが、素直に素晴らしい歌詞なんですよ。
散々悩んで泣いて、人とぶつかって分かり合えなくて、必死に探した自分の生きる意味。
少し肩の力を抜けるようになった今では、
ご飯が美味しいとか、腹ちぎれるんじゃないかって位笑ったりとか、綺麗な夕日を見たとか、会いたい人が居るとか、もっといっぱい書きたいけど、日常に転がるささやかな幸せを見過ごさない。
そんなんが生きる意味だと本気と書いてマジで思っています。
意味を見出そうとするのは
『意味』があると思えた方が自分が納得できて安心するからなんじゃないだろうか。
だから、死の呪いがかかっていても
今日も私はご飯が美味しいし、友人のラジオで爆笑するし、猫が膝の上で寛いでいて愛おしいし
幸せいっぱいに死に向かって進んでいる。
死について考える時、いつだって生きる事についても考えている。
生と死は表裏一体だとよく聞くが
どう足掻いても切り離せないものなんだったら
どちらも大切に考えていけば良いだけの話だ。
私は賢くない。
頭のいい人のように合理的な答えは
いつまで経っても見つからないし
今だって自分が何を言いたいのか分からなくなって迷子になっているが、賢くないなりに思考を止めない事が私のモットーだ。
物理的に遠く離れた友人は私に色んな問題提起をしてくれる。離れていても一緒に考える。
『次会う時に答え合わせができたら』
そう思うとまた幸せの予感を感じられる。