非メディアコンシャスの快楽 落合陽一 『魔法の世紀』
(2020年の5冊目)昨年、長年お慕いしている方と食事をした際に話題に出た本。落合陽一ってなんかバズってるけどよくわかんない怪しい人、古市憲寿とかモジャモジャな脳科学者とか、そういう類の人だと思ってたんだけども「研究者としても超一流」だ、と教わって、へー、となっていたのだった。本書が第一著作。半分歴史で半分未来の本、なんだと思う。テクノロジーに曲がりなりにも関わっている身としては示唆が多く楽しめた。
コンピュータやメディアの発展史を追いながら、いかにして現在のコンピューターの世界から離れるべきなのか、あるいは、いかにしてコンピューターによって我々のいる現実世界を変えられるのか、という思想や将来像が説かれている本。テクノロジーを使ってなにができるかの可能性を探っていく際に、我々の想像力が1970年代に構想されたコンピューターの基本設計思想にいかに縛られているのかに気付かされる。
「カーム・テクノロジー」を日本語に翻訳すると、「穏やかな技術」になります。彼は、コンピュータの存在を意識せずに、より自然な形でコンピュータの恩恵を受けられる世界を夢見て、それを「穏やかな」という言葉で表現した(P. 22)
個人的に惹かれたのは、パロアルト研究所のマーク・ワイザーによって提唱された「カーム・テクノロジー Calm Technology」。この概念とGoogle Homeによる音声入力の気持ち良さを捉えることができるかもしれない。非メディアコンシャスな状態。その快楽。
Google Home経由でテレビやエアコンの操作できるようにしている、とはすでに日記に書いたかもしれない(書いていないかもしれない。書いてないか?)。個人的な感覚として、声で操作できて便利、というよりも、声で操作できることそのものが快になっているような感覚があるのだった。その便利さを中抜きした快楽の原理に、人間はひょっとするとコミュニケーションを成功する、ということそのものに報酬系が働くような設計になっているのでは、という仮説を立てていたのだが、それは非メディアコンシャスなものとして操作系が達成されること、それゆえの快楽としても理解できそうだ。
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