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[理系による「映画」考察] ランボー(1982) ➡自分を受け入れてくれてくれず、かつ拒絶する社会への絶叫
実は社会派の映画です。
戦争によるストレス障害での反戦アクション映画に見えますが、実は違っていて、本当に表現したいことは、自分を受け入れてくれてくれず、かつ拒絶する社会への絶叫、になります。
よって、ランボーが機関銃で街を必要以上に派手に破壊する行為は、上記の意味です。
また、それだけにとどまらず、自身を受け入れてくれるコミュニティは、苦しくとも自身で見つけなければならない、とのメッセージも、逮捕されるランボーの描写に流れるエンディングの歌から読み取れます。
よって、実は今っぽいメッセージの映画なのです。
上記の考察に至ったのは、自身は転勤族で、幼少期は3年毎に異なる地域を移動する過程で、自身は全く変わっていないのに、好意的・非好意的、という地域毎の差分があった、つまり、
自身が変わる必要はあまりない。その代わり、受け入れられるコミュニティを自身で見つけるため、動く必要がある、
ことに気付いたことが1つ。
また、転勤しなくてよくなった状況になったその場所が、閉鎖的で、外部からの人を受け入れない雰囲気があった、ことも要因としてあります(自身はその雰囲気が嫌で嫌で、猛勉強による大学進学を脱出の契機とした)。
よって、子供になぜ勉強する必要があるの?と問われたら、自分が幸せでいられるコミュニティを自身で見つけるられるようになるため、と答えようと思います。例えば、外国語ができれば海外にコミュニティを求めることもできますしね。
と、話が重くなってしまいましたが、
アクションはピュアにかっこいい!音楽もいい!
のエンターテインメント性も決して忘れていない80年代のとてもよい映画です。