【考察】すずめの戸締り 男女性の統合と、インナーチャイルドと大人のわたしとの均衡
スピリチュアル研究所エムケーラボ所長の真壁です
新海監督の作品は大好物で、たぶん全部見ていると思います🤔
特に好きなのは『星を追う子ども』で、20回以上見ています
「うたが全ての記憶に溶け込んでいく」という旨のセリフが出てくるのですが
わたしの感じているワンネス感覚と同じで超感動したのを覚えています!
さて、今回の『すずめの戸締り』ですが🤔
1回目鑑賞時、さっぱり感動も思考もなく、、、
表面上の物語が、さっぱり楽しめなかったんです🤔
そして、裏設定がさっぱりわからない、、、🤔
こんなことおかしいな、、、とモヤモヤしましたので
昨日2回目見て来ました!
新海さんだったら、なんかあるだろうと思ったんですよね!
さっぱりとした恋愛映画なんて作りませんからね😂
暗い暗い、ネガティブ〜ン満載ですからね😂
一般受けする恋愛映画を盾に、込めたい強烈な感情を入れ込むと思うんですよね!
わたし、新海さんは、ただものじゃないと思っております。
2回目鑑賞時
大きな気づきが2つありましたので
これを元に、わたしの勝手な考察をします。
以下、かなりのネタバレですので、知りたい方のみご覧ください。
①より
だいじ=ダイジン
ダイジンは、インナーチャイルド
何かを秘めた(缶に入れて締めた)すずめの幼少期
ここから🤔
サダイジン=大人の物分かり良いわたし
と、解釈できると思ったのです!
ほら!しっくり来ません?
芹沢くんの車の中で2匹がもつれあっているシーンがありますが
大人のサダイジンが、子供のダイジンを(無理にではありませんが)押し付けようとしているようにも見えます。力関係を表しているのだと思います。
また、お茶の水の地下で鈴芽がダイジンを「あんたなんか大嫌い!」と言ったシーン。ダイジンは再開に喜んでいるで痛切にショックを受けているシーンが強烈に印象が残るように描かれています。これも鈴芽のインナーチャイルドである説が練り込まれていると考えると納得いきませんか?
上記を手がかりに
草太=男性性
鈴芽=女性性 と考えると、しっくりきます!
恋愛ものは男女性統合を意味しますからね🤔
そして草太ですが🤔
未来の鈴芽の姿とも思ったのです🤔
そう考えると、新開監督の作品としての合致が出てくるんですよ!!
度々登場する、社会に適合できない、大人になれない主人公。
言の葉の庭の世界観がここにも現われています。
以下、草太が男性性と未来の鈴芽の姿が混濁した解釈になりますが
ざざっと書いていきますね。
大学4年生、教員採用試験を目の前に、自分がわからなくなり飛び出し、自分探しの旅に出た草太が、日本各地を回りながら過去自分が住んでいた九州に向かう。
そんな映画として考えると、とても新開さんの作品っぽく感じられると思いませんか?
いく先々で感情が吹き出しますが、大人にならなければと、閉じまりします。
草太は閉じ師という神道系の末裔としてカッコよく描かれていますが、実は!自分の気持ちを閉ざし、大人になろうとする男性性が、そんな都合良い大人になれず、子供のわたしを探しにやってきたとも解釈できるでしょう。
また、女性の目が開くのは、男性性との出会いが必然。というのは、西洋的なシンボルとして語られて来たことです。
女性性である鈴芽は、311に心を一部閉ざし、九州に渡る。
まだ世間知らず、幼少期の傷にも気がついていない。ふつーの暮らしを当たり前にしている女性性は、男性性との出会いで目が開きます。
(ラプンツェルの原作では、王子との出会いで女性が自分自身に気がつくのに似ています=統合)
統合へ向かうために一番の要(要石)であった
インナーチャイルドの蓋が開きます。
九州に閉ざしたわたしの扉が開く(開錠)
家を出る際、開錠して「いってきます!」と言っている。
そこから九州の家には一度も帰っていない。
これは、東京のアパートを出た草太と同じ。
ダイジンは無駄に追いかけっこしていない。
男性性と女性性を、自分探しの旅(おそらく統合の旅)に連れ出している。
人との出会い、協力すること、支援を受けることなどを学びながら。
男性性は邪魔。感情(みみず)を閉じさせようとするから。
そこでインナーチャイルドであるダイジンは、一時男性性を一部凍結させ
鈴芽を常世(潜在意識)への旅へ連れ出す。
311の『すずめのだいじ』の缶を開けさせるために宮城へと向かわせる。
東京にサダイジンが居る
ここは男性性(草太)が住んでいた場所であり
自分探しに出たまま戻っていない場所。
同じ姿では戻ってこれなかったのは、女性性に出会い、その拍子にインナーチャイルドが飛び出したから。
大人の物分かりの良い自分がお茶の水に落ち着いているが、子供のわたし(ダイジン)がやってきたことで、大人のわたし(サダイジン)が揺るがされ、外に飛び出してしまう。(無意識が表面化する)
草太を物分かり良い大人に育てた、宗方さんはサダイジンにお願いしている。
社会になじめ、社会のためにロボットのように生きろ!とでも言うように。
宮城で常世(無意識)で大暴れしているみみず(感情)を
押し殺そうとしているのはサダイジン。大人の物分かり良いわたしである。
そこで、凍結している行動力の男性性を女性性が救い出す。(ラプンツェルでは、最後、彷徨っていた王子の失明した目が開く=扉が開く)
感情(みみず)の制止に関しては
草太は大人のわたし(サダイジン)で
鈴芽は子供のわたし(ダイジン)で
宮城で起こったことは、宮城に返す。
九州で凍っていたインナーチャイルドは、宮城の帰るべき場所に帰り解放された。
みみず=感情
感情は水として表現されます
みみずが落ち着いた後は雨が降りますよね?
(みみず=水、呼び名似せてますし🤔)
となると、
常世は潜在意識と読み替えることができると思うのです🤔
椅子は何のオマージュでしょうね?
一度要石になっていて、お母さんの形見でもありますよね
また、椅子だけが潜在意識を行き来します。実態が無い物。潜在意識を表すのでしょうか?
草太の育ての父が、物分かり良い大人を育てたとしたら、
たまきさんは、世間一般論のオマージュですかね?
二人は同じ『一般社会に適合した大人』を表していると思います。
草太は、東京の大学に入り、教員を目指しつつ社会が嫌になり心が折れたわけですが〜
同様、鈴芽も看護師を目指します。
この二つのお仕事は同じ性質があり、わたしがスピリチュアルで読み解く際は同じ種類の職業として読み解いています。
ここから、わたしは、草太は未来の鈴芽とも読めるなぁ!と思ったわけです。
かなりざっくりで、細かいところを見落としてるかも?ですが
わたしが感じたことです〜〜
いかがでしたでしょうか??🤔