自分のスタンダードを知る
先週末。
全力で本棚を組み立て、片付けて断捨離をし、読みたい本を読み、観たい映画や海外ドラマを観て、久しぶりに素晴らしく充実した週末を久しぶりに過ごした。
気に入った本棚に、大切な本達を整理していくと、想像以上に心が軽くなり、部屋が少し広く明るくなった。白い本棚を選んで正解だった。うんと心地いい部屋に格上げされた。
年末からこの数ヶ月は、トンネルの中にいるような感覚で、脳みそが溶けるほど思考していた。仕事のこと、自分のこと、これからのありたい姿。
働き方も考え方も生き方すらも、なんとなくフィットしていなくてしっくりきていない。常に頭も心も疲れていて回復も遅い、起き上がれない時すらある。余白のない生活。
1人になって以来、がむしゃらに仕事に打ち込んできたけど、そんな働き方は長くは続くわけもなく。
理想の日々には遠い。
なりたい自分にも程遠い。
変えたいなら、変わりたいなら、自分を知るしかないと思った。
初めてかもしれない。こんなにも自分を知りたいと思ったのは。
先人達の知恵を借りようと、この1週間は特に、色んな本を読み耽った。頭の中に散らばっていた点と点がつながる感覚、一つずつ言葉にして集めていく。感じていた手応えの輪郭が鮮明になってきた。
部屋を整えて、生活を整えて、好きなことに費やす余白を作って、のんびりと自分を追い込むことなく、一つずつ一つずつぼんやりとした感情を掴んでいった。
「自分のスタンダード」
私に足りないもの、いつのまにか欠けていたものはおそらくこれだろう。弱ったとき、迷うとき、不安なとき、わからないとき。スタンダードを持っておくと、よりどころになる。
今回振り返ってみると、私にとってのスタンダードは、おそらくこんなところだ。
こうすると、チューニングするように自分の気持ちや考えがあるべきところに収まるのをリアルに感じた。
全部1人でできることだったけど、結局そうなんだろうなと。孤独な時間がなければ人は深く思考しない。思考しなければ自己理解は深まらない。自己理解が浅いままでは成長できないとおもうから。
これからも袋小路にはまることがあるだろうけど、私には私のスタンダードがあるから、前より少し心強い。淡々と過ごしながら、自分で立て直すことができるはずだから。