物理化学系の大学院を卒業後、化粧品の製剤開発という職について10年。今現在は主にスキンケアの開発をしている。 中学生の頃にコスメ愛に目覚め、そこからはもう化粧品の成り立ち、組成ばかりが気になった。 使うことももちろん好きで、どんどんメイクも濃くなった。とにかく寝ても覚めても化粧品。 顔や肌にコンプレックスがあったことも要因だったように思う。 美しくなるためのツールがどんな風に作られて、私はそれの何に惹かれているのか。 それがとにかく知りたくて、その欲のためにこれまで
暗いトンネルから抜けてふっと心が軽い。 この数ヶ月本当にきつかったけど、手応えのようなものを掴んでやっと抜け出した。 自分の感情を味わい尽くすって本当に大事だと改めて思った。名前のつかない感情だとしても。逃げるようにして過ごしてもどのみち振り切れないということもわかった。 考え方の癖、感じ方の癖、物事の見方の癖、コミュニケーションの癖。振り返って、見直して、少しスライドさせてみる。視点、支点。ほんの少し変えてみる、ことに少しだけ成功した。 力の入れ方ってあるよなと。
先週末。 全力で本棚を組み立て、片付けて断捨離をし、読みたい本を読み、観たい映画や海外ドラマを観て、久しぶりに素晴らしく充実した週末を久しぶりに過ごした。 気に入った本棚に、大切な本達を整理していくと、想像以上に心が軽くなり、部屋が少し広く明るくなった。白い本棚を選んで正解だった。うんと心地いい部屋に格上げされた。 年末からこの数ヶ月は、トンネルの中にいるような感覚で、脳みそが溶けるほど思考していた。仕事のこと、自分のこと、これからのありたい姿。 働き方も考え方も生き
ふと思い立ったように、本棚を買った。 「自分の周りにお気に入りだけを置く」これを実践したいと思ったからだ。乱雑に置かれた本や致し方なく置いている収納棚も急に心をざわつかせた。今だと思った。 この、「自分の周りにお気に入りだけを置く」ということは、いうほど簡単ではない。 仕事も人間関係も、好きなこと、好きなものだけというわけにはいかない。それは百も承知。 でもなるべく、自分の手の届く範囲内でだけなら心がけることはできるから。まずはそこから始めようと思った。 そう思って
マーケに新しく異動してこられた子持ち時短勤務の女性が、在宅ワークの際の日報報告に「私の貴重な時間をそんなことに割けません」と一蹴し、上司に訴えた結果、日報のルールごと消えた。さすがと思った。 本当に仕事ができる人だし、成果を上げている人の声はやはり大きい。 特にその日報に実質的な意味はなかったし、サボる人がいるだろうという意識から強いていたルールだった。 マネジメントは性善説を前提にしないと、管理コストばかりかかる。部下を疑えばキリがなく、1日の業務まで細かく把握しにい
研究職とは言え、それなりにデスクワークも多いもので、在宅ワークも利用しながら働いていている。この日、研究所にチーム3人が揃うことが久しぶりだったので、3人でパンケーキを食べて帰った。 茨木駅から歩いて数分のところにあるカフェ、レードルさん。 ここのカスタードパンケーキが我々の癒し。 仕事に直接関係のないことでもあることでも、必要な雑談ってあるよね、と再認識。ブレストしている中で生まれるアイデアもあるし、ヒントが見える時もあって、目的なく話すこともそれなりの意味を持つ。目
知識を持っていることが重要なのではない。見解を持つことが大事なんだ。 各論に対する見解を持つこと、戦略とは見解の集合体だ。私はまだまだ発展途上。
大事な人に2年ぶりに会った。 世の中がこうなってから、会うのを躊躇っていたけれども、結局いつ会うつもりなんだろうと思った。あと何回会えるかも分からないのに、先送りしていて良いことなんて一つもない。 年明けの挨拶の際に、今年こそお会いしたいですと伝えてみたところ、「いつでも大丈夫、優先順位高いので」とおっしゃってくださったので、では早速という形で決まった。こういう粋な返しも変わっていないと思った。なんとも言えない温かい気持ちになった。 久しぶりに会っても変わりなく素敵なま
最初から賛同者や理解者が多いことは、それがもたらす価値も小さい。既に答えがあることはイノベーションではないからだ。 未知の価値は、最初は誰にも賛同されない。
むぎと暮らし始めて6年と半年。愛しさと共に募る別の感情があることを知った。 生き物を飼うって前提としてとても哀しいらしい。私たちの人生より、彼らのそれは確実に短いし、好きだとか幸せだとか愛情を言葉で聞くことは一生ない。 終わりが一日一日近づくことを意識するととても切ない。こんなに愛しいのに不思議だ。 言葉は交わせない。それでも私は彼女の気持ちを誰よりもくみ取れる存在だと思うから。最後の日までずっと幸せであってほしい。 #ペットとの暮らし
信じるということは難しい。この言葉にはよくエゴが含まれているから。「自分の理想通りであることを期待し、そうではない姿が見えた時に失望する」、この世で多用される「信じる」の裏にはそんな意味を孕んでいると思う。 信じるということの本質は、相手ではなく自分の覚悟の在り方ではないかと思う。理想の姿ではなかった、これは裏切られたわけではなく、ただ見えていなかった部分が見えただけのこと。 そうなった時に、自分がどう行動するか、覚悟しておくことだと思う。そのためには自分がこれだけは受容
この一年間、意識して文章を書いてきたし、あえてそれを発信するということを実践してきた。 結論から言うと、想像以上のものを得ることができた。それは自己承認、他者承認という形で示された。 周りの人、特に会社で、「あなたが発信する言葉は明確なメッセージがあってとてもわかりやすい」「わからなかったことが理解できた」「言葉にできなかったモヤモヤが正確に言語化されて腹落ちした」そんな風に言ってもらえることが増えた。資料でのメッセージ性やプレゼン力も認められるようになった。 自分でも
唐突だが、私は頻繁に孤独を感じる人間だ。頻繁に、とはいうものの他者の孤独を感じる平均的な頻度はわからないが。 そもそもこの孤独感の正体はいったい何だろうか。私を翻弄するものの全貌を妙に暴きたくなった。この一年ほど思考し続けて、途中経過だが記しておきたい。 孤独感にはフェーズがある 子供のころに感じた孤独感は「集団からの分離」だろう。孤立を恐れ、何かしらのコミュニティに所属しようとする。 高校生くらいになると、今度は無理をして合わせること自体に違和感を覚え、共感性の低い集
白状しよう。 今、私は完全なる下地難民だ。 色々と使い込んできたものの、お気に入りが廃盤になったり、冬場は乾燥で使えなかったり、この時期なかなかしっくりくるものがない。 コスメというのは最初に使うものが1番重要。 スキンケアならクレンジング、メイクアップなら下地。 なんでも土台、基礎が大事。応用はそれからだ。 これは私の絶対的なコスメ理論。 しかし下地クリームというのは難しい。肌質との相性も考えなければいけないし、どんな肌に仕上げたいかも重要、ファンデーションとの相
年の瀬。 激動の12月を乗り切って、プツンと途切れたような時間を過ごしている。 今年の出来事を振り返ってしまうから、妙にしんみりするこの時期はそんなに得意ではない。 特に思い返すのは自分の言動。 どうして渦中にいるときは自分の立場からは「見えないものがある」と思えないんだろうか。どうして決めつけてしまうんだろうか。 それは自分が一番されたくないことなのに。 放った言葉はどうあがいても取り消せないのに。 Take2があるならきっともっとうまくやるのになぁ。 今なら限りな
これまで沢山のデータを分析してきて、ほぼ確信していることがある。「広く好かれることと深く愛されることは両立できない」これは人でも物でも当てはまる。「広く」や「深く」のスケールはその対象物によるが。覚悟を決めて振り切るしかない。その覚悟のないものは結局誰にも相手にされない。