吉祥寺三丁目の夕日 2.冷たくてコワかった?井の頭公園
あの映画の1シーンのような、夕日に輝く昭和の吉祥寺と、現代をワープしながら、生まれ育った街、吉祥寺をご案内します。
週末になると、吉祥寺駅南口からすぐ近くにある井の頭公園は、家族連れや幅広い年代のカップルなどで賑わいます。中央に広がる池には、ハクチョウの形をした貸出ボートで混み合い、子供たちの歓声が聞こえてきます。さて、今日のお題ですが、子供の頃から吉祥寺に住む私にとって、井の頭公園のイメージは、冷たくてコワかった、のです。それは何故か?
まず、井の頭公園にあったスイミング・プール(今はありません)。ここのプールの水は、冷たかった!(皆さん、ここでガックリ来ないで下さい!まだ「冷たさ」は深化します)ここのプールは、どうやら地下水を使っていたために、夏でも温度が上がらず、我々の悪ガキ仲間は、あまり近づきませんでした。吉祥寺周辺は、井の頭公園、善福寺公園、石神井公園など、大きな池を持つ公園が南北に並んでいます。富士山から武蔵野を経て江戸に向かうこの辺りは湧き水が多く、武蔵野市の水道も、地下水を利用しています。
さて、冷たいのは、この地下水だけではありません。吉祥寺駅から井の頭公園の奥の方に歩いて行くと(吉祥寺駅から見て「奥」。話も「奥」へと進みます)、人影はだんだん少なくなり、深い緑に覆われ、昼でもうす暗い所に入って行きます。
その「奥」に入った、うっそうとした木々の奥底に、玉川上水が流れています。そうです、太宰治が入水自殺をした川です。愛人の山崎富枝さんと共に二人が飛び込んだのは、もっと三鷹の方ですが、発見されたのは、その6日後。この近くまで流されていたと言います。さぞかし冷たかったのではないでしょうか。もちろん私は玉川上水に入った事はありませんが、子供ながらに、あのプールの感触から、この周辺にヒヤリとした、ちょっとコワ~い空気を感じざるを得ませんでした。
子供の頃は、教科書に載った太宰のクールな写真だけがイメージにありましたが、「人間失格」など、その小説を読んでみると、改めて文章の奥底にある、その冷たさ、クールさ、時にはコワさが伝わってきます。
この玉川上水の脇には、井の頭自然文化園(要するに動物園)があります。そこには、戦後すぐにタイから日本にやって来た象のはな子が、1954年以来、60年余りの間、暮らしていました。しかし、はな子の生涯は、けして平坦ではありませんでした。はな子は、この井の頭文化園で、世話をしてくれていた飼育員を踏み殺すなど、2件の死亡事故を起こし、その後は脚を鎖でつながれて飼育されました。そのため当時、子供たちの間では、井の頭動物園の象はコワイ、との評判が広がりました。しかし、飼育係の山川清蔵さん(故人)が鎖を解いて運動場に出し、退職までの30年、はな子に寄り添って世話をしたため、はな子は山川さんに心を開き、その物語は本にもなって、多くの人の心を動かしました。はな子の子供達からの人気も、戻ってきました。しかし、はな子は晩年にも、飼育係を鼻であおむけに転倒させたり、女性獣医師を投げ飛ばすなどの事故を起こしてしまい、今度は柵越しに飼育されるようになりました(参考:2011年8月23日朝日新聞)。
ただ、はな子は、吉祥寺に来て以来、ずっと小さな小屋の中で、親や象の仲間から隔離され、1頭だけで飼育されてきて来たのです。このため、その孤独な環境が事故を起こさせたのではないか、との見方もあります。確かに、一人で(いや、一頭で)長い間、過ごしてきた、はな子の心中は、察するものがあります。
この、みんなから愛され、一方、一時はコワがられもした「はな子」の像は、今、吉祥寺駅の北口に立っています。いつもは嬉しそうに見えますけど、夕日に照らされた「はな子」は、ちょっと寂しそうにも見えます。もしかすると事故を起こしてしまった事を、後悔しているのかもしれません。
そんな歴史を経て現在に至った井の頭公園。今は、さまざまなパフォーマンスが繰り広げられ、楽しさが溢れています。以前、こんなイベントは、ほとんど行われていませんでした。私は最初にニューヨークから戻って来た時、まるでセントラルパークになった、と感心していたものです。私にとって、子供の時の井の頭公園のイメージが「冷たくてコワかった」のは、過去のものになりました。
こうやって見ると、はな子の像は、本来なら、吉祥寺駅北口よりも、井の頭公園の入り口がある南口に置かれて、皆さんを、さぁ一緒に公園に行きましょう、と誘いたいのかもしれません。
皆さんも、こんな歴史を思い浮かべながら、井の頭公園をお楽しみください。
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