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響きの魅力の前にフレージングを優先して考える〜ブラームス交響曲第4番第2楽章

ブラームスop98の第2楽章。その第1主題が行き着いた先に、咲き乱れる第2主題。

八分音符で綴られるこのメロディはその和音の響きに魅了され、テンポが遅くなりがちだ。だが、楽譜のフレージングを生かすことを優先して考えると、呼吸はもう少しあっさりしている。ゆったりとした感覚はテンポ感の問題ではない。その骨組みが大きくなるからだ。

その41小節から始まるメロディは、二つの小節を分母にした大きな6拍子を骨組みの上にある。

その拍節の分母の変わり目は39小節めにある。

第1主題は、付点四分音符分のインパクトに突き動かされた付点二分音符のシンコペーションがベースだった。それが39小節めに至りつく。この時、ホルンは印象的なエコー効果を伴って41小節目へ向けて二つの小節を使って消えていく。この運動が第2主題を支える骨組みのきっかけとなる。

さて、第2主題は、二つの小節を分母とした大きな6拍子でできている。

①39 40  ②41 42  ③43 44 ④45 46  ⑤74 75 |①80

そして、この二つ小節のセットはラルゴの場合のように、アップとダウンの組み合わせでできている。その< >の歌い方をスラーが括って示している。スラーで括られたメロディの動きを見ていると、八分音符のひとつひとつを鳴らすという歌い方ではない。スラーが括るフレーズで歌うのだ。

それは速過ぎはしないが、適度な運動性を持ったスピード感はある。つまり、andante であり、そこに中庸であることを指すmoderatoであるのだ。88小節めからこの主題が再現される場面はある意味でこの楽章のクライマックスかもしれない。だか、ここでも楽譜のフレージングを生かそうとすれば、和音の厚みよりも流れるような勢いなのだ。

このクライマックスを響きと音圧で聴かせようとしてしまうからandanteを逸脱して遅くなってしまう。そうあってはならないのだ。

大衆が喜ぶようなベタに甘い歌い方では品がない。音を聞かせるのではなく、音楽を聞かせる。
聞かせるべき形を見据え、その歌の姿で伝えることでなくてはならない。
こないだ話題にしたBWV1068のガヴォットが「真っ赤だなぁ」という恥ずかしい歌い方ではなく小節4拍子で聞かせるように、この第2主題も二つの小節による6拍子という形で語れなくてはならない。尤もらしい音響で誤魔化すなんていう「素人騙し」で満足してはならない。音楽を聞かせることを目指さなければならない。

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