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楽譜の通りに演奏する。しかし、積極的に、考えながら〜ベートーヴェン交響曲第1番の開始
ベートーヴェンop21の開始は主和音を外したところからスタートすることは知られている。だが、そんなことよりも大事なことは、4小節めというスタートラインがあって、そこに至る過程があること。つまり、そこまでの3小節間は4小節めを修飾している位置にあることだ。
4小節の四分音符に、この3小節間の帰着点がある。そういう俯瞰があると、この過程の「高低差」が見えてくる。大事なのは、その起伏を読み解くことなのだ。
① 1 ② 2 ③ 3 | ① 4…
だが、では4小節めから流れていく序奏が本流なのかといえばそうでもない。9小節めや11小節めに頂点があるのかと思えば、それらは骨組み的には通過点でしかない。主和音がなかなか構築されない、帰着点ずらしの焦らしが続くのだ。
ただ、この序奏はそうやって焦らしつつ、少しずつ拡大して主部に結びつこうとしている点もユニークなところだ。
①4 ②5 ③6 ④7 |
①8 ②9 ③10 ④11 ⑤12 |主部へ
つまり、小節の3拍子→4拍子→5拍子と、拍節が1小節ごとに拡大されていく。
さらにこのあとの第1主題は小節の6拍子で出来ているのは偶然のはずがない。
つまり、
3拍子→4拍子→5拍子→6拍子
という世界の拡大の過程がここには描かれている。こうやって、すべての流れは主部2/2allegro con brioまで繋がっていく。
この拡大する修飾過程を得て、主部が始まる。
この一連の脈絡はテンポにも関係する。つまり、主部と序奏のテンポ感もこの脈絡から考えれば自ずとみえてくる。
序奏で執ってきた四分音符のサイクルの半分の速さ、つまり序奏の2分音符のサイクルが主部allegro con brioの小節のテンポとなっている。この小節を分母にした6拍子がこの主部のフレーズを構成する。そのフレーズの3拍子がtuttiを導いていく。
だが、そういう構成感に無頓着だと、平面でつまらない演奏にしかならない。
単純に音が並んでいるだけでしかない作品などあり得ない。それらの作る脈絡がわかっていないようでは作品の立体を再現することは不可能なのだ。つまり、音符を鳴らすということに囚われて、その軌跡か作るものをまるで見ていないのだ。それは回転しないフィルムの一コマを見ているに過ぎないのだ。
何も考えずにただ楽譜の音符を鳴らすことと、積極的に考えながら、楽譜の通りに演奏することはまるで違うのだ。
作品に寄り添うというのは、その作品の意図、方向性を知り、そこに積極的に同調することだ。その積極性がなくては、クラシック音楽など死んだ音響にしかならないのだ。楽譜を生かすためにどう動かすのかこそ大切な姿勢なのだ。