ゲドを読む……?
去年、とてもつらい事があって気持ちがヒリヒリと余裕がない時期にアーシュラ・K.ル=グウィンの「ゲド戦記」を読んでいた。
十代の頃、当時刊行されていた四巻までは読んでいたが、その後出た短編集と最終巻は気になりつつも未読であったので、全巻通読しようと思ったのだ。
若い頃には主人公のゲドも含め、登場人物たちが暴力的な目に遭うのがかなり衝撃だった。
バイオレンスな作品を読まないわけではなかったけど、本作が児童書のカテゴリーで出版されていたので、油断していた。
齢を重ね、多少の耐性ができた今読み返すと、当時三部作と謳われた一巻から三巻までは血湧き肉躍る冒険活劇で、霧に包まれた陰鬱な印象は変わらなかったけれど、ちゃんとした王道の娯楽作品だった。
問題は三巻から十年以上経って発表された四巻目からで、当時の評判が微妙だったのもむべなるかなといった読み味なのだ。
私は女なので、男性がこれを読んでどう感じるかはわからない。
率直に言って「竜と剣と魔法を期待して読んだら、セクハラとかマタハラとかよく知った現実の問題を突きつけられて、ちっとも物語世界を楽しめない」と思った。
これは作者の力量とか以前に、そもそもファンタジーとフェミニズムの相性が悪いからではないかと思う。
ファンタジーは男性優位の世界観で物語が展開するのがセオリーだ。そうではない作品もあるかもしれないが、大抵は英雄がいて、騎士がいて、魔法使いがいて、怪物や悪者から美女を救出し妻にする、という粗筋を持つものが多い。
ゲド戦記も多分に漏れず三巻まではほぼこの王道からブレない。
だから四巻の「ハイジや赤毛のアンのような舞台設定で展開される性差別にフォーカスした物語」を咀嚼できずに消化不良を起こすのだろう。
変な話、ゲドやアレンが作中でどれほど苛酷な目に遭っても、理不尽な暴力を振るわれても、飢えや渇きに苛まれても、どこか他人事として楽しむ事ができた。
だがテナーやテルーが性的暴行を加えられたり、蔑まれたりするとなると話は別だ。それはあまりに身につまされる痛みで、フィクションであっても看過できない痛みだった。
それでは四巻以降の三作が駄作かというと、これはこれで異質な魅力があるのも事実で「アースシーの風」を読み終えた時にはしみじみ読んでよかったと感じた。
今でも一番好きなのは「影との戦い」と「さいはての島」だけど。
霧の中でアレンが年古りた竜と出会う場面。竜がちゃんと血肉をそなえた生き物として存在してる、と思った。
話は冒頭に戻る。
ゲドを読んでいた時期は自分を取り巻く状況も心身の健康状態も最悪といってよかった。
体調不良でベッドに横になりながらゲドを読んで、こういう作品が好きだ。こんな作品を自分も書いてみたい、と切実に願った。
泥の中に倒れながら最後まで手放せないものがあるなら、この気持ちだ。
読んだ前と後とで現実は少しも変わらないのに、心が豊かになるこの感覚。
それを求めていつも本を読んでいた。特に若い時分には。
小難しい文体や本の厚みに苦戦しながらも、この物語に十代で出会って読み通したのは幸運だった。
大人になってゲドや竜たちと再会して、その時の気持ちをまた受け取れたのだから。
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