6年間の葛藤に終止符を、一区切りとしてここに記します。
6年前の今日、父がこの世を去りました。
とても突然で父の死後にはたくさん大変なことがありました。
父のことはあまりよく分からなくて、面と向かって話す機会もないまま居なくなってしまいました。
その当時は18歳と若かった。大学入りたて、世間もろくに知らない自分には、父と話す術もわからなかった。今生きていたなら、父と対話したかったです。
この話は自分の中で一番酷な経験です。本当にこれからの人生でも経験しないレベルだなと思います。でもこの6年目にこの事実を受け止めて、やっと抜け出せた実感があったので、どうか最後までお付き合いください。
父がいる人と父がいない自分を比較し続けていた
よく道で父が我が子の手をひいて歩いている姿を見ると、父がいない自分を顕著に感じていた。あ、居ないんだと。なぜ自分には居ないのか?死んでしまったから。
死ぬことは生き物の摂理のはずであると頭では分かっていても心が理解できていなかった。苦しかった。
この現実から逃げたかったから逃げた。春休みと秋休みの長期休みは必ずと言っていいほど日本を飛び出した。
インドネシア・カンボジア・ベトナム・タイ・アイスランド・オランダ・アムステルダム・ベルギー・イギリス・フランス・インド…
行ってみて、たくさん出会った。
自分と同じ世代で片親を亡くしていたり、両親を亡くしていたり。
なぜかインドネシアはその中でもそういった人に会う確率が高かった。だから居心地が良かった。
でも2020年3月以降、インドネシアへ行くことは許されなくなってしまった。
逃げ続けた日本に踏み留まらなくてはいけなくなったこの数年は正直キツかった。逃げ道を失って、八方塞がりにされた感覚だった。
今度は逃げるにも逃げられない。
現実と向き合った。面と向かって真正面から向き合った。
ヨガの師に出会った。
向き合い方に出会った
ヨガと瞑想。
まず始めにこのヨガと瞑想で心のどこかにずっと寂しいという感覚があってそれが全部溢れ出た。涙と共に全て出た。
その次に自分を整えた。
雑な自分のクセして文句ばかり思いついて、イライラしていた自分を排除した。
そして、思考から全てを入れ替えた。
ヨガと瞑想を毎朝繰り返す中で。
家族には言われた。
「見違えるように落ち着いた。丁寧になったね。」
母からは、「あの時の友ちゃんは何かしたいのにうまくできない歯痒さがあったね。まだ若かったのに苦労かけてごめんね。」と気付かぬうちにあった母とのワダカマリもこの時解けた。
母も母なりにあの当時とても大変だったことを私は気づいてあげられなかった。自分が悲劇のヒロインぶっていた。
私こそごめんなさい。
正直に言う。
私は父のことが嫌いだ。
大嫌いだ。
私には父のことを好きになるチャンスは与えられなかった。嫌いなままあっという間に死んだから。
死人に口無しとはまさにこのことだなと身をもって痛感している。
もう好きにはなることはできない。でも、感謝することはできる。衣食住をし、教育を受けて、ピアノやバレエ、学習塾にも通えたのは少なからず母一人の力では無かった。父の稼ぎがあったからだ。
そう考えると、もう好きにはなれない、でも感謝はできる。どんなに大嫌いでも今の自分が存在しているのは紛れもなく父の力もあってなのだな。
友という名
最後に、私の名前は友達の友でゆうと言います。父と母が海外の人にも馴染みやすくて、友達がたくさんできるようにという思いを込めて名づけました。
たくさんの友達ができたかはわからないけれど、日本とインドネシアを中心に国境を超えて本当に素敵な友達に恵まれています。
お母さん、いつもありがとう。
そしてお父さん、ありがとう。どうか安らかに。