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ジャッジしない、カテゴライズしない

最近、私が考えていることを書いてみる。


せいべつ

私が、性別を選択する時は

「どちらでもない」

を選ぶ。

生物学的には男性だが、私は女性的な要素が少しある気がする。

(「男性女性」という言葉を使うことに抵抗があるのだけど、伝えるために使ってみる)

男性のノリにあまりついていけなかったり、共感できる感覚は女性の方が多かったり。

私は異性愛者であり、LGBTQではない。
そこがややこしかったりする。

ただ、私はこの自分をすごく気に入っている。

カテゴライズされず、人とフラットに接しやすい状態なのがすごく心地良い。

かたつむり

カタツムリは、オスメスの区別がなく、交尾をした時はお互いが産卵を行う。

お互いリスクを追うことができる関係性。

人間が同じ能力を持つようになったら、
今ある問題は解決していくのか。
新たに出てくる問題はどんなものなのか。

そんな思考を巡らせながら、カタツムリのことを私は愛おしくなった。

ーーー

最近、ドラマや小説、友人から「産婦人科」に関わる話を見聞きする。
特に「お別れする命」のほう。(ここの表現、すごく迷った。傷つけてしまったらごめんなさい)

私がもし当事者になったら、
どう向き合うのか、どうコミュニケーションをとるのか、パートナーの幸せのために何ができるのか。

私には答えが出せなかった。何を考えても、小手先だけの優しさ、振る舞いになってしまう。

そりゃそうだ。私には「無知」が多すぎる。

だから、学ぶことから始めることにした。

少ない知識や情報でジャッジしない。
知ろうとすること、考え続けること、分かった気にならないこと。

盲信

600人ほど集まったある場で「盲信」についてスピーチさせてもらうことがあった。

盲信とは「わけもわからず信じ込むこと」

情報が溢れすぎている社会。
特に、シンプルさが要求され、切り取り、断片化された情報が多くなっている。

カテゴライズもそのひとつ。
シンプルで非常に便利。
だが、シンプル化によって削ぎ落とされた情報が無かったことにされる(ように見えてしまう)。
そして、カテゴライズされないマイノリティも無かったことにされる(ように見えてしまう)。

だから、複数の情報を照らし合わせ、多角的に判断していく必要性がある。

ただ、生活、子育て、仕事で手一杯で、そこに割く「時間」も「余力」もない人が、私の周りには多い。

そんな状況の中で、「情報」や「知」とどう向き合っていくのか。

そこを私は考えていきたい。



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