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別に、誰のせいでもない話。

ごめん。今日はめっちゃ自分語り。
家族を難しいと感じると、いろいろ危ないなって思って。

父が死んだのは17歳の時だった。
今や自分の年齢は30代半ばも過ぎたので、父がこの世にいなくなってからの時間の方が長くなったことになる。

兄妹の仲は複雑で、私は兄が苦手だ。
5歳以上年が離れているので、大人より少しこちらに近いけど、同世代よりは明らかに離れている感じ。
兄は外では社交的で運動神経もよく、スポーツや飲み会を通じて友人がたくさんいるタイプ。でも、家の中でのコミュニケーションはすごく難しかった。

悪いことをして親に叱られると、後で兄にギャン泣きするまで怒鳴りつけられた。

父はどんなところが良くなかったのか、どう判断すべきだったかを一緒に考えてくれた。間違いを認め、次のために何をしなくてはならないか、何ができるかを答えられるようになるまで寄添ってくれた。
母のお説教もそれに似ていた。感情的な起伏を抑えながら話す冷静さがあった。

でも、兄はとにかく一方的に叱責する。
何故そんなことをしたんだと。お前は馬鹿かと。
こちらが落ち着いて考えることをいつの間にか放棄せざるをえないほど、こちらが半ばパニックになるまで。

ああいう時、どうして私は逃げなかったのだろう。
なぜ母は止めてくれなかったのだろう。

機嫌がいいときとそうでないときとで、言動が全然違う人だった。思い返せば一緒に笑っているときも、私は常に緊張していたような気がする。家の中でいつ交通事故に遭うか分からないような、一緒に暮らすことが難しいあの感じ。

大人になるにつれ、そこから逃げるように、
私は決して地元では暮らさなくなった。


時は過ぎて。

兄に嫁は来ていない。
常識的な女性は、本能的に危ないと察することができるのだと思う。

母は10年以上、体が不自由になる病と闘い続けている。
「こんな介護の必要な親がいるからだろうか。
 親戚たちからはあんないい子なのにねと言われるのに。
 どうしてお兄ちゃんは結婚できないのだろう。」
そう嘆いては私の前でよく泣いていた。

私は、「できないと思うよ。」とは言わなかった。
「本当に本人がしたいと思うならできる。
 お母さんのせいじゃない。本人の問題だよ。」
そう答えても母は自分を責め続けていた。

そういう会話も思うままにできなくなるほど病状は進み、兄はずっと母の介護をしている。
転倒して骨折しても、入院しても、連絡はこない。
辛うじて体調が上向いた日の母から、弱々しい小声でそれを聞く。

「お前は知ってるかどうか知らないが、
 お母さんはもう歩けないから。」
ある日突然、兄からそう聞かされた。
母は自分の状態について、多くを話したがらなかった。

ものすごく感覚が幼い私は、母が入れ歯を外すのを見ただけでもしんどい。歯磨きの手伝いもお手洗いの介助も、よほど体調を整えて覚悟してかからないと、吐き気や鼓動、息が荒くなるのを堪えるのが大変。本人に絶対にそれが伝わらないように抑え込んでいるのも、母には見透かされているような気がする。

兄は下肥の世話はもとい、外出先では母の食べ差しをも食べる。
どうしてお兄ちゃんだけにやらせているのかと非難し、私のことをけなすように扱う親戚もいる。

人の話を聞かず思うままにやろうとするところは、みんなお互いに似ているかもしれない。

でも、お兄ちゃん、ありがとう。
私、できない。

お母さんの携帯に電話して折り返しがなくても、家電に誰も出なくても、お兄ちゃんの携帯にかけるの怖いんだ。
弱っちくて本当にごめんなさい。

お母さん、何かあったの?
死んだりしてないよね?
そんな当たり前の声掛けができずに逡巡する家族って、私って、なんか変だよね。

お父さんのいなくなった家が、恐ろしかった。
お母さんのことが嫌いだとか、そういうことじゃない。


家族はよく分からないけれど、家族を難しいと感じるようになると、人にどう接したらよいのか分からなくなることが、一番怖いことのように思う。

だから私は、自分の家を外に作って、
今日も新しい外へ向かう。

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