【前編】キラキラ要素ゼロ、私のマタニティライフ振り返り
もう転職はしたものの、新卒時代はエリア総合職という職種で採用されたこともあり、私は女性比率の非常に多い職場で働いていた。
以前から度々記事中で触れているとおり、私の前職時代の仕事は一貫して営業。精神的にも体力的にもしんどく、自己都合で退職していく女性職員を数多く見送ってきた。
勿論、後先を考えず逃げるように会社を去る者もいた。
その一方で一番穏便、かつ同世代の羨望の対象だったのが、結婚を機に退職していく、寿退社と呼ばれるパターンだ。
そして、出張あり営業目標ありの激務に嫌気が差していた彼女達は、結婚後順当に妊娠して出産し、続々と家庭に入っていった。
「結婚して仕事辞めたい」「仕事辞めたいから結婚したい」、何度耳にしたかわからない。
結婚すれば、妊娠すれば、子どもがいれば、この状況から抜け出して、キラキラした生活とやらが待っているのだろうか。
答えは否、だ。しかし当時の私はまだ若く、そこまで考えが及んでいなかった。
初妊娠、キラキラした生活が待っている…?
当時付き合っていた恋人とすぐ結婚する選択肢がなかった私は、在職中に職場に内緒で公務員試験を受験し合格。晴れて転職し、数年後に結婚し、程なくして妊娠した。
たま◯クラブを読みながら、或いはスマホを検索しながら、私は初めてのマタニティライフに思いを馳せた。それは、前職時代に憧れた「キラキラした生活」そのものだった。
幸いなことに、私の悪阻は比較的軽かった。
近場で旅行。
デカフェのコーヒーを飲みながらゆっくり本を読む。
出産前には里帰りして、小中高の地元の友人と久しぶりに会う…。
長期のお休みなど本当に久しぶり。ワクワクしかなかったし、明るい未来がすぐそこにあるように思えた。
これまでそれなりに努力して道を切り開いてきた、私にはそんな自負があった。
けれども、自分の努力ではどうにもいかないこともある。私にとってのマタニティライフは、そんな苦い経験が詰まっている。
緊急事態、売り場から消える赤ちゃんグッズ
私の妊娠発覚から数ヶ月後には、新型コロナの存在がはっきりとクローズアップされるようになっていた。
パンデミック。ステイホーム。ソーシャルディスタンス。緊急事態宣言。
そんな非常事態の中、妊娠初期には水天宮前まで赴くことも考えた安産祈願は、自宅近くの神社でひっそりと済ませた。
買い出しは産休に入ってからとのんびり構えてたら、売場からはガーゼが消え、ミルトンが消え、おしり拭きが消えた。慌てて実家にお願いし最低限のグッズを揃えることはできたものの、ゆっくりと、しかし確実に不穏な空気が漂い始めた。
※参考記事「#赤ちゃんの物を奪わないで」妊婦さんがSOS、新型コロナで乳児用グッズが品薄にhttps://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/akachan-sos
そんな中、これまで順調そのもので何の異常もなかった私の身体にも異変が現れた。
経過は順調だったのに…まさかの入院
私の妊娠が分かったのは異動1年目の冬だった。
繁忙期に差し掛かりピリピリし始める職場に、私を除いて子育て世代の職員など皆無。
皆に迷惑をかけてはいけない。私は日中必死になって仕事をした。
他の職員の半分程度の時間に何とか留めたとはいえ、残業もした。妊婦のための軽減措置制度はあるにはあったが、特に取らなかった。いや、あの時の私は取ろうと思うことすら微塵もなかった。
今ならはっきりと思う。知らず知らずのうちに、私はお腹の赤ちゃんに負担を掛けていたのだと。
それは産休まで3週間を切った、ある日の明け方のことだった。
私は、腹部をギューギューと締め付けられるかのような激痛に襲われた。
その痛みは断続的に続き、波が静まったかと思ったらまた荒れ狂う。私は必死に痛みに耐えた。身体中からはダラダラと冷や汗が流れ、生きた心地がしないまま朝を迎えた。
夫に相談しても、スマホを検索してみても、原因は分からない。
寝不足で働かない頭で電話連絡を入れ、腹痛が落ち着いた僅かなタイミングを見計らい、私はヨロヨロと歩いてかかりつけの産婦人科に向かった。
その日、私は自宅に帰ることはなかった。
ロクに荷物も持たず身一つで来た私は、有無を言わさず車椅子に乗せられ、即日入院となった。
切迫早産だった。
なぜそんな身体でここまで歩いてきたんだと、後で色々な人達から言われた。
危ぶまれる里帰り出産
私は産休のタイミングで実家に帰省し帰省先の病院で出産する、いわゆる里帰り出産を計画していた。
しかし、入院先の主治医(当時の院長。幾度となく私の悩みの材料の一つとなるのだが…)の反応は容赦なかった。
「そんな身体で里帰りなんて出来るわけないだろう」
目の前が真っ暗になった。
里帰り先への転院ができないなら、せめて早期の退院を目指したい。でも、切迫早産での入院は長引くことが多いと知ったのは、入院してからだった。
出産予定日まではまだ2ヶ月以上ある。
いつ退院できるのか。私は里帰り出産ができるのか。
打ちのめされた気分になりながら、私は点滴が繋がった重い身体を横たえることしかできないでいた。
入院中は絶対安静が命じられ、トイレに行く以外は専ら個室のベッドの上で過ごした。
3食きっちりカロリー計算された食事を摂り、気が向いたらテレビを見て、夫から差し入れされた本を片っ端から読んだ。
シャワーは4日に1回程度。Wi-Fi環境もない。検索魔にはならずに済んだが、ダラダラ過ごしている割に気分は一向に晴れない。不自由極まりない生活だった。
コロナ禍真っ只中の病院には来客禁止の制限がかけられ、病室は不自然に静まり返っていた。唯一の訪問者は、毎日胎児の心拍を計りに来る看護師さんくらい。
そういえばあの時のような激しいお腹の痛みは、入院中1度も感じることはなかった。ピリついた職場の繁忙期の空気感から強制的に解放されたお腹の赤ちゃん、実は密かに安心していたのかもしれない。
経過が落ち着いた私は、入院10日間を経て退院した。
そして当然ではあるが、ここでめでたしめでたしとは行かなかった。
里帰り出産ができるかできないか、私は主治医から紹介状どころか、明確な返答を未だに貰えていなかった。
(続く)
補足情報(早産・切迫早産について)
以下は日本産科婦人科学会公式ホームページからの情報である。
切迫早産になる割合については、5人に1人が経験しているとのデータもある(引用元はベネッセたまひよ公式)。
また、上記日本産科婦人科学会公式サイトによると、早産の経験がある人はそれ以降の妊娠でも早産になりやすいとのこと。これは、私が第二子以降の出産を躊躇う理由の一つにもなっている。大袈裟に聞こえるかもしれないが、それだけ私にとっては辛い経験になっている。
既に耳タコかとは思うが、くれぐれも妊娠中は無理しないで!!と、声を大にして伝えたいところである。