【2024 読了 No.56】ジェームス・M・バーダマン著『日本人の英語勉強法-なぜ日本人はこんなにも英語ができないのか?-』(中経出版)読了。
TOEIC500点にも及ばない私がフツーに喋れるのに、TOEIC800点も取っていながら喋れない人がいる。
著者はそういうの人のことを、(かなり最後のところでだが)「英語のペーパードライバー」と呼んでいた。言い当てて妙である😁
この本は、日本人が「英語のペーパードライバー」で終わってしまう理由を的確に答えてくれた。さすが在日39年、7000人(刊行当時)に英語を教えてきただけのことがある。
一方で、私の「英語に対する考え方」が正しかったことを確信させてくれた。
「実際に(日本人に)『必要な(英語の)レベル』の程度を探っていくと、ネイティブ並みに話す必要がある人よりも、『ある場所で、ある程度、話せればいい」』という人のほうが多い。」
これ、ホント真理😉
日本史の予備校講師の私なんて、英語を使う機会なんて観光地ぐらい。
初めて会う外国人によく自己紹介をするけれど、自己紹介なんて、予め定型文セットを一組作って何回か練習しておけば充分。相手ごとに替える必要なんてない。
旅行先のバス待ちとかで手持ち無沙汰なときに話しかける「かけ方パターン」だって、ワンパターンでいい。
結果として、同じことを何回も何回も喋る。そりゃあ上手くなるよね。…TOEICの点数は上がらないけど😅
日本人は何故、英語に関して完璧を目指すのか?何故、資格や検定にこだわるのか?
「(日本では)学生時代、『英語』は、必修科目のひとつであり、試験科目のひとつだった。そのため、社会人になっても、『英語』=『勉強』という意識を引きずっている人が少なくない。英語は勉強するものではなく、使うことで、失敗しながら、どんどん磨きをかけていくものなのだ。」
これ、言えてるね✌️
私の専攻は日本史なのに、大学院の入試にさえ英語がついてまわった。正直、納得いかなかった。
今の私にとって、英語の勉強の中心はオンライン英会話。それでが充分なはずなのだ。なのに、不要なはずの英検準1級にこだわってしまう。私も「『英語』=『勉強』」という意識を引きずっているからなのかな🤔
いや、こだわってるのは私ではない。
日本の社会全体がこだわってるのだ。
日本では「『英語が喋れる』ならば、『英検1級や準1級ぐらいは持っている』はずだ」と考える人が多い。目の前で実際に喋ってみたところで、相手がヒアリング能力が無いので判断できない。資格みたいな明確なものでしか判断できない。
日本史の授業で、「みんな英語勉強してね。English is a universal language. If you can speak English, you can connect with people all over the world.」って流暢な英語で話すより、「私は現役時代、英語が苦手でした。でも、一浪してみたら英語が得意になりました。なんと、英検準1級も取得しました。」の方が説得力がある。
これが日本社会だよ。
資格は説得力を上げるためのもので、資格取得のために何を学んだなんてのは二の次なんだよね。
説得力上げるために、やりたくない英検準1級用の問題集やるって、なんか虚しいよね。
本音は"English is a universal language.
.… ”なのにさ。
でも、日本社会で、しかも日本社会でしか通用しない日本史の講師をやっていく以上、日本社会のルールに従う面も必要だと考えている。
2025年は絶対英検準1級取得するよ。
やっぱ英語力底上げしてきたからだろうね。問題が前よりは解けるようになってきたから。