西瓜のにおい
「やっぱり母、入院になったわ…」
イヤホン越しのおとちゃんの声は、疲れ切っている。おなかの腫れと痛みを訴えて入院したお母さんは、一週間で退院してきたけれど、いっこうに症状が良くならず、すぐに再入院になったらしい。病院へ行くたびに主治医が代わり、見立ても治療方針も変わって、どうにも落ちつかない。
こうなると、おとちゃんは食べられない。
いつだってそうだ。
たいせつな誰かの体調が悪くなると、心配で不安で不安で心配で、食べ物がのどを通らなくなってしまう。
以前、親以上に慕っていた叔母さんが亡くなったときも、おとちゃんは骨と皮になるくらいまで痩せた。
「マシンガントーク」「エネルギッシュ」「豪快」「明るくて元気がいい」…共通の友人たちが語るそれは、おとちゃんがサービス精神旺盛だからこそのイメージ。本人も気づいているかどうか怪しいけれど、彼女は臆病で繊細で、とてもやさしい。
「やだー、体重測ったら 41kg だって! さすがにいかんわ」
そうだね。160cmで41kgは、さすがに痩せすぎ。
食事を作って届けようか。そうすれば、彼女は思いを汲んで、きっと食べようとするはず。でも、彼女の早い夕食の時間にはとても間に合わない。10月の終わり、わたしの仕事は繁忙期に差しかかってきていた。
食べられないなら栄養だけでもと、残業終わりにドラッグストアへ立ち寄る。ゼリー飲料や栄養ドリンク、ちょっといい入浴剤、簡単に食べられるレトルト食品を買って、玄関先に届けた。
インターホンは押さず、「置いといたよ」とメッセージを送る。
もうお風呂も終わってるだろうからね。
数日後の日曜。わたしは彼女の家に徒歩で向かっていた。小春日和だったから、つい歩きたくなって、GRⅲをぶら下げて。
うちからおとちゃん宅までは2km。裏道を通れば信号がひとつもないから、車なら5分、歩いていくと30分。
季節外れの金木犀が鼻先をかすめる。もう11月なのにね。ちょっと便利になりすぎた暮らしが、自然を狂わせているのかもしれない。
橋の上で立ち止まって川面を覗いたら、体長50cmくらいの大きな魚影がふたつ揺らめいている。青灰色の鯉だった。写真を撮って、また歩き出す。おとちゃんに見せたら、竿を持って行きたがるかもしれない。
閑静な住宅街の片隅に畑があった。ていねいに手入れをされているのだろう、整然とした畑。三方を家に囲まれているから、風のとおり道が決まっているのだろう。ならぶ畝のなかで、里芋の葉だけがいやいやをするように揺れている。
空を見上げて、また歩き出す。
「えらいでしょ、私。ちゃんとご飯炊いて、自分のために朝昼晩作って食べてるんだよ」
振り向かなくてもわかる。この声は、かなりのドヤ顔。
「そんなドヤ顔してー」と、振り向いて吹き出した。彼女は、キッチンで腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「えらいえらい。いい子だねぇ、おとちゃん。よう頑張っとる!」
「そうでしょう? だって、うたちゃんにあんなふうに心配かけたらいかん!って思ったの。だから、ちゃんと食べようって。何でも作るから、食べたいもの言って」
立ったまま、ぷしゅっと缶ビールを開けて、おとちゃんがのどを鳴らす。大丈夫だ。もう大丈夫。彼女にビールを流し込む気力が戻れば、もう。
ひさしぶりにふたりで食べる夕食は、楽しくて懐かしくて、味わい深かった。
「おいしさ」は味覚だけれど、味覚だけじゃないって思い出す。
にぎやかに話しながら彼女が“ちゃちゃっと”作ったハンバーグも、きのこのソテーも美味しかったけれど、この時間、空気こそが、わたしの「おいしい」を形作っている。
「そろそろ帰るわ」
ドアを開けたら雨が降っていて、畑に風が吹いていたのを思い出した。風が吹くと天気が動く。
「おとちゃん、傘貸して! あと、ビニール袋ちょうだい」
バッグは持たず、むき出しのGRⅲを斜めがけにして歩いてきたから、雨でカメラが濡れてしまうのが怖い。ジッパー付き保存袋をかぶせて、できるだけジッパーを閉じて歩き出す。
ふふふ、おもしろい。透明なビニール袋のポシェットみたい。夜だし雨だし住宅地だから、誰ともすれ違わないけれど、車のライトはきっと反射する。
若い頃なら間違いなくやらないことだけれど、重ねた年齢は、わたしを自由にする。
借りた大きなビニール傘のなかで、雨音がリズムを刻む。
暗くて静かな住宅地の片隅で、ふと雨を撮りたくなった。保存袋を外して、片手でシャッターを切って、雨音を閉じ込める。
だんだん音が硬くなって、雨粒の大きさを教えてくれる。急がなければ。
家まで、あと500m。
夜の雨は、西瓜のにおいがした。