連載日本史159 化政文化(1)
十八世紀後半から十九世紀前半にかけての文化を、年号の文化・文政にちなんで化政文化と呼ぶ。江戸を中心として地方にも伝播した庶民文化であり、風刺や批判精神に富み、現代のオタク・サブカルチャーにも通じる、多様性あふれる文化であった。
文学の世界では、エネルギッシュな娯楽小説が次々と生み出された。遊里を舞台にした洒落本や、絵入りの風刺小説である黄表紙では、山東京伝や恋川春町が活躍し、「仕懸文庫」「江戸生艶気樺焼」や「金々先生栄華夢」などの作品が人気を博した。黄表紙を綴じ合わせた合巻では、柳亭種彦が「偽紫田舎源氏」で大奥を風刺した。黄表紙には、幼児向けの赤本や、やや程度の高い青本もあったという。読者の世代に応じた漫画本の数々が、印刷技術の進歩によって、急速に庶民の間に広まったのである。
前世紀の仮名草子・浮世草子にルーツを持つ娯楽小説のジャンルは更に細分化し、滑稽本では式亭三馬の「浮世風呂」や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、恋愛系の人情本では為永春水の「春色梅児誉美」、伝奇系の読本では上田秋成の「雨月物語」や滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」などが生まれた。とにかく、この時代の小説はバラエティーに富んでいる。出版文化は地方へも波及した。越後の縮(ちぢみ)商人であった鈴木牧之は「北越雪譜」で雪国の生活や風俗を描き、菅江真澄は東北各地を旅した紀行日記を残した。
俳諧では天明期に与謝蕪村、化政期に小林一茶が出て、独自の作風で俳句の世界の裾野を広げた。和歌では良寛や香川景樹らが活躍したが、江戸時代後期の庶民文化を象徴するのは、俳諧や和歌をパロディーにした川柳・狂歌であろう。柄井川柳らが編纂した「誹風柳多留」には「侍が来ては買ってく高楊枝」「抜けば抜け 後で竹とは言はさぬぞ」など、貧乏でプライドだけは高い武士を風刺した作品が垣間見える。狂歌では大田南畝(蜀山人)や石川雅望(宿屋飯盛)らが、古歌を下敷きにした多くのパロディー作品を残した。
ヨーロッパで印刷術が普及した際に、急速に広まったのは聖書の訳本であった。教会の独占物であったキリスト教の教義に関する知識が一般に共有されたことが、宗教改革の要因のひとつとなったのである。一方、日本における印刷技術の進歩は、学問の普及に大きく寄与し、庶民の教育水準を底上げしながら、漫画や娯楽小説(ライトノベル)の大流行にもつながった。印刷技術というハード面は同じでも、そこに盛り込むソフトの違いが日本とヨーロッパで対照的なのが面白い。