連載日本史㊵ 天平文化(3)
奈良時代において特筆すべきは、史書と地誌の成立である。まず、平城京遷都から間もない712年に、稗田阿礼の口承を太安万侶が書き留めてまとめた「古事記」が完成した。続いて720年には、舎人親王らが編纂した正式な国史としての「日本書紀」が完成。日本という国家の形成過程が、神話も交えながら、史書という形でまとめられたのである。
「古事記」は神話時代から推古天皇の時代までの歴史を語る。もともとが口伝なので、日本語風にアレンジされた変則的な漢文で特に神話時代の神々と人間の物語が生き生きと描かれているのが特徴である。一方、「日本書紀」では、神話時代から持統天皇の時代までの歴史が、正式な漢文を用いた編年体で記録されている。このスタイルは後の正史の編纂にも受け継がれ、以後二百年にわたって六国史(続日本紀・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三代実録)が、いわば「リレー史書」のような形で次々と成立した。いずれにも、当時の実力者である藤原氏が編纂事業に深く関わっており、政治と歴史とは切っても切れない関係にあるのだということを改めて考えさせられる。
歴史的事実をどう解釈するかは、史書が編纂された時代の状況や、編者の立場、史書そのものの位置づけなどによって、微妙に(場合によっては大幅に)違ってくるだろう。「古事記」と「日本書紀」の間にも、そうした違いが随所に見られるのは事実だ。さすがに嘘は書けないが、時の権力者にとって都合の悪い事実は記載されなかったり、あえて小さく扱われたこともあるかもしれない。しかし、ともかくにも、これだけの大事業を当時の人々が敢行してくれたおかげで、現代の我々も、遠く神話の時代から七世紀までの日本の古代史を学ぶことができるのだ。
時を同じくして全国に「風土記」撰進の命が下り、奈良時代半ばには地方の国々の風土や歴史を記載した地誌が次々と完成した。現存する「風土記」は出雲・常陸・播磨・肥前・豊後の五ヶ国みだが、当時は全国五十ヶ国以上に及ぶ「風土記」が揃っていたはずである。交通の未発達の時代、地方の文化は現代よりもかなり多様性に富んだものであったと思われる。地理と歴史と公民。奈良時代は、社会科の三要素が出揃った時代なのだ。
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