『瞬きシャッター集』12月4~6日
瞬きシャッター集とは?
私はカメラを持っていない時、忙しくて撮れない時など、カメラを構えられない時に私は意識的にカメラのシャッターを押すように瞬きをします。
そして、今心のアルバムに入れた!と意識的に思っています。
そのことを、『瞬きシャッター』という言葉にしてみました。笑
コンセプトは、『心に残る一瞬』です!
『瞬きシャッター集』とは、そんな1日のうちの印象的な瞬きシャッター、シャッターを思い出し、それをスマホでぽちぽちうち、小説風にしたものです♪
ネットには載せないようなささやかなスマホで撮った写真、カメラ写真のことも含まれます。笑
推敲込みで30分以内で軽く書く、を裏テーマにしています。
それでは、どうぞ!
2024年12月4日:スマホ写真
・4.『夕方の懐かしい気付き』
Nは、家でフリーランスデザイナーの仕事をしている。家でじっとしていると気が滅入ってきたため、気分転換だと言い聞かせて、近くを散歩することにした。
いつもの道だ、とNは思う。でもある一箇所を見た時、Nは釘付けになった。
それは、踏切のところにある、歩行者と自転車用の歩道橋だった。
夕方のオレンジ色が、歩道橋の壁部分のシルバーに反射している。窓のようなシルバー部分は階段に沿って並んでいて、規則的な幾何学模様のように見える。
夜だったらなんとも思わなかったに違いない、とNは思った。
夕方だから、影がシルバーに落ち、歩道橋の規則的な美しさを引き立てている。シルバー部分がオレンジ色に反射もしていて、キラキラとも違う、淡いすりガラスのような淡い反射だった。淡さと時の刹那を感じ、なんだか寂しそうに見えた。刹那の時、ってもう二度と訪れないように思えて、寂しくなるのだ。カンカンと鳴り出した踏切の音がさらにそのような気持ちにさせるのだろうか。
見ていたら、小学生2人が反対側から楽しそうに駆け上がって行くのが見えた。
私もあのような無邪気な頃があったのだよな、とNはなんとなく思い出す。
いつからだろう。好きなものをじっくり見られなくなったのは。
小学生の頃は無邪気に、あれもいい、これもいい、と周りがキラキラと見えていたのに。
今日じっくり見た歩道橋からNは、懐かしい感覚を取り戻したのだった。そうだ、この感覚だ。これが、『ささやかな好きという感覚』なのだ。Nは寂しさとは無縁の、好きとの繋がりを思い出した。
轟音を立てて、電車が通り過ぎる。小学生たちは、横を騒がしく走って行った。踏切の音も終わり、辺りに静寂が戻る。
ささやかな好きを思い出せた自分は、それを大事にすればきっと今後のデザインの仕事や人生の楽しみに活かせるに違いない。きっと、『好き』の気持ちが私の原点だったのだ。
そう確信して、Nは心の中に自由を取り戻したような気持ちで、晴れ晴れとした顔で歩き始めた。
裏話:夕方のシルバーに反射しているのは綺麗ですよね。
2024年12月5日:スマホ写真
・5.『おれはこの家とともに』
今日もガタガタと音がする引き戸を開ける。この出入口も、おれが小さいときには滑らかな動きだったのだろう。いつの間にか動きが悪くなり、おれが『じいさん』と呼ばれるくらいになってからは、ガタガタとして、開けるのも一苦労するものになった。
おれは家の横にある鉢植えを見た。橙色の、推定50センチ以上と、少し背の高い花が咲いている。
「ばあさんや、きれいに咲かせられたよ」
もうこの世にはいない、ばあさんに話しかける。
その時、風が少し吹いて、橙色の花が揺れた。
「それは、良かったですねぇ。じいさんは几帳面だから、きれいに咲きましたね。さすがですね」
というばあさんの声が聞こえた気がした。
ばあさんは、おれの几帳面さ加減に大変な思いをしていたかもしれない。
古い家だが、しっかりと整えておきたくて毎日サッシを磨いたり、出したものはすぐしまえ、床に塵を落とすな、とおれは無理なようなことも言っていた。
それでも、ばあさんは「はいはい」といつも微笑んでいて、おれはその態度に心から安心していた。
おれは橙色の花を見つめ、小さく笑った。
若いものには信じられないくらい築年数が経った家を見上げる。
壁の塗装は剥がれかけている。壁以外の雨戸などはおれが丁寧に手直しして、暮らせる家にしてきた。そんな愛着がある。
ばあさんがいたころも、偶然通った若いものは口々に、
「この家戦前からあるのかな?」「うわ、古いな〜!」「趣があっていいよね」
などと言っていく。
ばあさんは、その言葉を褒め言葉のように思ったのか、うんうんと頷き、嬉しそうに聞いていた。
おれもこの家と一緒に朽ちていくのだ。
「朽ちていくのではなくて、一緒に成長してきて、そしてこの世から去っていくのでしょう?」
そんなばあさんの声が聞こえた気がした。
「それも、そうだなぁ」
と、思わず微笑みながら呟いた。なぁ、ばあさんや。おれはこの家と人生を共に出来て良かったよ。この家を好きなばあさんがいて、きっと家も喜んでいただろうよ。
裏話:築年数どれくらいかわからないし、実際どんな人が住んでいるのか住んでいないのかも分かりませんでした。笑
2024年12月6日:スマホ写真
・6.『感性を取り戻す』
手を繋いで歩いている親子が前から歩いてきた。子供はニコニコとして、嬉しそうに歩いている。
ある所に差し掛かったとき、急に俯いて大きい声を上げた。
「わぁ〜!きらきらだぁ!」
「あら、きらきらしてるの?」
「うん!ママ見て!木のところから黒いところ、白いところ、がゆらゆらしてて、川さんの水面みたい!」
「ふふっほんとだねぇ、木漏れ日だね」
「こもれび?」
子供はおそらく、一本の木からできた木漏れ日を見ているようだった。確かにコンクリートの地面をキラキラと彩っている。木の影とコンクリートの灰色が水玉模様のようになっていて、綺麗だった。
風に合わせゆらゆらと揺れている様子が、水面のキラキラした揺らぎに見えているのだろうか。
いいなぁ、と思った。そういう、感じる心とか、見つける心とか。今の私はそういったものが弱まったように思える。別に日常生活で困るわけではないけれど、自分が他のものに意識を向けるようになったのだろうと、少し寂しく思う。喪失感、っていうと大げさだけど、頑張らないと探せないということが、以前の私とは変わってきたポイントかなと思う。
子供の感性って、独特の瑞々しさがあるんだろうなと、羨ましくなる。私も小さい頃はこの子みたいな感性を持っていたのかな。
たしかに、私も木漏れ日が好きだったし、道端に咲いているたんぽぽや、アスファルトに咲いている花を見て、「すごーい!頑張って!」と思っていた記憶はある。
ひまわり畑に行った時には、
「ひまわりさんたくさん!いっぱいいるから、お友達になれそう!」
と言って、両親を驚かせたらしい。前に聞いた話だ。お友達になれそう、という感性は今だとよく分からないけれど。
「木漏れ日さん、キラキラしていてキレイだねぇ」
私はかがみながら子供に話しかけた。
「おねーさんもきれいだと思うんだね!嬉しい!」
子供は満面の笑みでそう答えた。母親も後ろでニコニコして私たちを見ている。
「ほっこりしたよー。ありがとね」
そうにっこり笑いながら言うと、片手を頬にあてて、照れたように子供が笑った。
ヒラヒラと手を振って親子を見送る。今の私に足りないところは、そういった感性をもつ視点なのかも、と思う。そういうのを見つけられれば人生にときめきが増えそうだな、と考える。そうだ!これからは今日の木漏れ日みたいに、ときめいたものをスマホで撮ってみよう!と思い付き、それいいな、と私はルンルン気分になった。
裏話:実際には周りに男の人がひとりいた時でした笑
フィクション楽しい。
今回はこの3つでした!読んでくださりありがとうございました。
また次回に!