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この現代社会で有名人になるのは余りにもリスクが大きすぎる件について
本当に今の時代に「有名人」になるのは
あまりにリスクが大きくないか?
「失敗できない世の中」になりすぎではないか?
と、思うことばかりである。全くもって収まる気配がない芸能人とメディアのスキャンダル騒動。一つの話題が収束しても、また次の薪がくべられて常にどこかで誰かが後ろ指を指されて燃えている。
全て有名人自身の身から出るサビとはいえ、
かなり恐ろしい時代だ。
かくいう私も、推していた芸人に
そういった報道が同時多発的に出てかなり憔悴した。
何というべきか言葉が難しいのだが、落胆しすぎて人生で初めてスッと全身から力が抜ける感覚を味わうことになった。久しぶりに熱狂的に好きになった方だった分、衝撃というのも当然大きく・・・。まあとにかく、ネットニュースやSNSを見ないようにして、なるべく精神を安定させることに今は努めている。
今でこそネット上での意見も多様化して「恋愛問題は個人の自由と問題」っていう考え方とか、「過ちを反省するきっかけに」という声がちょこちょことは出てくるようになってきたが、そういう視点の人たちに対して攻撃する人が居たりするので、余計に火の気が増す。結果、なかなか先が見えずに活動を休むことにもなったりする。
誰でも好き勝手言える(僕も含めて)ネット社会では「初動が上手くいかなければタレントとして終了」に直結しているんだろう。ボンボン燃えるネットの海を前に、僕もただ茫然とコメントを眺めるばかりである。
そう考えると、誰もが監視役となって、いつどんな粗相を世間様に晒されるかどうか分からないという今の時代に、有名人としてビジネスをしている人は皆猛烈に胆力があるとしか思えない。
そりゃ確かに稼ぎとか人気とかさまざまなものを得られるし、いろいろな思いを持ってタレントやクリエイターとして立ち回っているとは思いますけど、それにしては得られる物がせいぜいお金っていうのはちょっと…柔らかくいえば「割に合わない」でしょう。
俺だって正直、粗がない人間じゃないですから、有名になりたい気持ちと、有名になって後ろ指を指される側になりたくないという気持ち。文筆業を昇華させて成功を成し遂げたいという大きな気持ち。それを成すことによって付きまとうデメリットへの懸念。両極端な二つの気持ちが、グラグラと揺れながら自分に「全部書いて発信しろ」と言ってくる。
あーあ、いっそ誰かに批判されても好きなようにムーブできるぐらいのメンタルで生まれてくれば良かったなのなぁと思う。炎上無視、アンチもスルー、心無い声には沈黙で中指を。それぐらいのメンタルがスーパーとかに売っていたら、気軽に自分も変われるのになぁ。
どうすればいいか、こうして書いて
思考を整理していても結論は出ない。
せめてお願いだからもう少し、他人の失敗や粗を受け入れてくれる社会になってほしい、というのは無理な願いだろうか。まあ無理か。無理だよね。諦めムード漂う今日この頃である。
おしまい。
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