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ロマンチックが怒れない
フレッシュで、ほんのりリキュールも振った、ほっぺたが痛くなるようなレアチーズケーキ。フルーツやお花も愛らしく添えてある。
私は大酒飲みでスイーツを欲しない。
が、かつてケーキに目を輝かせていた頃は、そんなレアチーズケーキがだいすきだった。
今の夫となったひと、T兄は、特級の問題児だった。
メディアなどで叩かれる、いわゆるキレる男。やんちゃナイスミドル。
沸点は低く、着る物乗る車、「あーアレな人」とピンときた。
ただ、旦那さまは一つだけ、人と違った所がありました。
旦那さまは、超ど級の、甘酸っぱいチーズケーキのようなロマンチストだったのです。
付き合っていた頃。
深夜に連絡があった。
「◯◯駅前」
とだけ、画面にある。
なにごと?
彼の自宅から私のいる町まで、かなり時間がかかる。明日も早朝から仕事のはずだし、私もそうだった。
何かあったのかしら?
たたた、と走って行くと、いつものようにおこ、で立っている。
「な、なに?どうしたの?何かあったの?急にまた出張が決まったとか?」
T兄は、ぷんぷんしながら、小さな包みを取り出した。
「やる。」
ガガミラノ、とかいうのの、ペンダントだった。3の数字が、夜の街灯の下、ラインストーンできらきらする。
数日前の記憶が蘇る。
急に、訊かれたのだ。
「数字は、何が好きなんだよ」(怒っている)
「3かな」
「なんでだよ」(怒っている)
「かもめが飛んでるみたいに見えるから」
会話はいつもこの調子、か冗談の応酬。
その午後、3種の長さのチェーンをしたマネキンの画像が送られてきて、
「選べ」。
命令。
まさか、この平日の深夜に、いきなりそれを持ってきた?そのためだけ?
そのまさかだった。
五十も過ぎた元どヤンキーの彼は、異様なまでのサプライズ好きだったのだ。おこは、その頃の素、とも見えたが、のちに、恥ずかしくてたまらなくてそうするしかなかった、ということが分かった。
一緒に暮らし始め、ふんふん晩ごはんを作っている。
大抵は、なぜか彼の車のエンジン音がする前に察知することが出来たが、料理に集中していて出来ないこともあった。
「こしょうを入れてーと。うふふ。T兄❤️」
とひとりごちていると、突如、背後から相撲の技をかけられる。
「フギャー‼️」
「ふふふ、ねこめ、気づかなかったな?」
「ど、どこにいたの⁉️」
さっき帰って、ドアの陰に潜んでイヒヒと見ていたのだ。
私は、怒れなかった。
ひどい口調で話されても、すぐ怒られても。
本当は誰よりも純で、昔のラブソングの歌詞の男みたいに、器用なことをしたり言ったり素直になるのが出来ない天邪鬼。
おまえなんか、とふてくされながら、その実誰よりも私を心配し、思い悩んでいてくれたこと。友達と話しただけでヤキモチで大暴れしたこと。
そのハート形の火花が、飛び散ってまるみえ。
だが本人は、俺は酸いも甘いも噛み分けた年長の大人の男で、おまえなんか好きじゃないぜ、ってフリを続けた。
まるみえ。
私は黙ってることにした。
私はその年、体の大異変が続いた。
歯の根に雑菌が入り込んで、ひどく痛んだ。疲れかららしかった。
それでも気にせず彼の部屋にうふふと泊まりに行った土日、一晩別室でベッドを借りて寝て起きてきた私を見て、彼は飛び上がらんばかりに驚いた。
それほど、顔半分がひどく腫れ上がっていたのだ。
私は翌日の月曜、すでに歯医者の予約をしていたが、彼は大慌てで検索を始めた。
「大丈夫だよー予約してあるもん。それに今日、日曜だよT兄?」
「ダメだダメだ‼️それすぐ医者行かないとヤバいやつだ‼️あ、あったぞ、おまえんちの近く‼️今から行くぞ‼️」
「高速で1時間半かかるんだよ?」
「うるせえ支度しろ‼️」
「もーせっかくのデートなのにー」
車の中で、ふとT兄は笑い始めた。
初めて見る、無邪気な、少し安心した笑い顔。可愛い。力が抜けると、こんなに可愛い、素敵な顔していたんだわ。
「おまえ、なんでそんなんなっちゃったんだよ」
私は真面目に、ウソを言った。
「どんぐり食べたら取れなくなったの」
「早く歯医者でどんぐり取ってもらえよ、ばかリス」
その直後、事故で左腕に二度の火傷を負った。仕事に行けなくなり、緊急事態もかかり、なのに私は。
あのおこりんぼに会いたくて、苦しくてたまらなかった。
怒られたいわけじゃない。もちろんその逆。
あのひねくれものは、ぷいと横を向くかもしれないけれど。
私は、きれいな優しい、貴い言葉、色んな人の箴言を10年かけて、手書きでノートに写していた。自分のためだけの覚え書き。
その分厚いノートを、まるまる手書きで新品のノートに写した。ひと月かかった。
彼のヤンキーなプレゼントとを私がうひーと思うのと同様、手書きのノートなど、彼のようなタイプはいちばんいらねえよって思うだろうな。
でもいいんだ。
プレゼント。
去年の誕生日はまだ出会ってなかったから、プレゼント。
これを渡すまで、生きていたいな。
それまで、今日車にはねられても別に?という価値観で生きていたのに、何故か突然、思った。
あのひとにもう一度会って、これを渡すまで、生きていたいな。
もう少しだけ、生きていたいな。
かくして、私たちは会った。
夜、後ろを向いて腕を、自分で治療するために包帯をはずすと(病院は軒並み休みで、なんとかギリで飛び込んだ近くの皮膚科で自力でケアする方法を教えてもらったのだ)、覗き込んだ彼は絶句した。
「T兄、見ないの。気持ち悪いでしょ?あっち向いてて」
T兄は、うつむいた。
そして、絞り出すように一言、ぼそっと言った。
「そんなんなってたのか、おまえ。痛えだろう。そんな…」
私は痛みを感じた。
それは腕の、ではなかった。
やがて私の歯も火傷も幸運なことに完治し、
膿みただれていたT兄の心も、きれいな生まれたてのような心に戻った。
突然の、新婚早々での長期出張。たびたび書いた。
しかし肉体隔たる現在も、いつもそばに互いの心がある。そのやり方は、もうお互いに知っている。なおかつ育みさえできることをも。
私のおかしなバレンタイン。
汚れて見えて、その心は実は真っ白いことが、本当は誰より優しいことが、最初から私を惹きつけた。見た目や年齢やお金、輝かしい地位でも経歴なんかでも、私は惚れない主義。
透かして見た時、驚いた。
カラーが白?
大人では見たことがない。一度もない。
そして、泣いている彼が見えた。おれはさみしい、と、長いあいだ、ひとりで泣き続けている彼が。
荒れ狂うことの原因。
そうだったの。
彼に会いに行く時、いつも決まって白い大きな鳥が現れた。
嘘でもなんでもない。場所に関係なく、それは現れ、私は分かったのだ。
そうなのね。
永遠ってどんなことなんだろう、って訊いてきたことがある。
「いまのことだよ」
と私は答える。
私のバレンタインは、今日もげんきにがんばっている。
お菓子よりも甘いものを贈るから、どうぞ召し上がって。
あなただけに。
ありがとう。
ずっとずっと愛してる。