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さくらさくら

と浮かれ、春の季語の花といえば通常桜を指す。そんなJAPANの春。
しかし北海道が舞台のマンガ『動物のお医者さん』では、春が来ると桜もチューリップもライラック(リラ)もいっせいに咲き出すかの北国での花見はとくに桜でなくてもべつに良いとあった。
もちろんそれが100パー道民の意見と限らないとしても、春の、ひいては国の精神性の象徴として日本では桜。バリ島ならフランジパニ(プルメリアのこと)などかもしれない。北欧ではエーデルワイスかもしれない。


先日。次の日は雨の予報、晴れた1日。自転車(名前はエマ)で桜のようすを一人見に行った。
町の中央公園のぐるりに植った桜は…

こんな感じ。
まだまだだったが、もうたくさんひらいているかも。

トキワマンサク
花桃
連翹


足元には地面に葉をついて立ち上がるようにたんぽぽが咲き、ほかにもキュウリグサにタネツケバナ、ナズナに仏の座に姫の踊り子草、カラスノエンドウにスズメのエンドウ、コメツブツメクサ、華鬘草にノゲシにナガミノヒナゲシにムラサキハナナ。田畑には菜の花、えんどう豆の花。
その朝、ことし初めて帰ってきた燕をキッチンの窓から子猫の小次郎と見た。
「ほら小次郎。きみは初めて見るでしょ?あれは燕っていうの。南の国から飛んできたの。きれいでしょう?」
小次郎は窓わくに登って座り、料理したり皿を洗ったりするジャマも忘れて夢中で生涯はじめての張り込みを始めた。


翌日にはホトトギスの声もした。鷺が悠然と羽ばたいてゆき、今回の住まいのあたりの『担当』コンビのトンビもうれしげに上空に現れた。キジバトもメジロもシジュウカラも恋人同士で可愛く鳴き交わす。セキレイが振り返り振り返り道案内するようにトコトコ歩く。
ひっそりとした小さな公園の池のほとりを通りかかれば、パエトンの柳のうるわしい若みどりのもすそが垂れていた。自分の姿を水面に映して。


愛してるありがとううれしいうれしいしあわせまたあなたたちに会えた。


還ってくる還ってくる還ってくる。
もう悲しいこととさびしいこととむなしいことで泣かない。
あなたに再び会えたうれしさだけを見て、感じていよう。うれしい涙だけ流そう。
私がそう欲するから。


友と語らい、ワインを傾けながら笑う。
うれしい。
冬の間、友がたとえ離れたところにいようが関係なく私はうれしい。その方法は心にいつも大好きな存在たちを住まわせてしまうこと。その存在たちの美と優しさをやすやすと信じ、いつも胸のうちにいだいていること。


今日は花散らしの雨。
だが水仙がおおきくひらいて雨のしずくをたっぷり飲み、浴びながら言っているのを聞いた。
「ああ、美味しい。気持ちがいい」


買い物から帰り、いつものように階段の下に生えているカラスノエンドウの若葉をすこし摘む。いつもありがとうね。いただくね。
ドアを開けるが早いか飛びつこうとしてくる小次郎に「ほーら」と笑って放ってやると、すぐ夢中でむしゃむしゃやり始める。この子の大好物の野生のサラダ。


桜もいい。
それもこれもどの花も、ピンの先ほど小さな輝く金色のカタバミの花も皆、変わりなくうつくしく愛しい。春はだから、うれしくって狂おしい。
おかえりなさい。
ただいま。

春の野にプロセルピナ裸足で立つ

T兄に耳をまるめられベンガルヤマネコにされたがまるで気にせず爆睡した小次郎。
起きてふるふると頭を振って戻してた。大きさはもうパンジャの子レベル。子猫なのにでかくて重くてたまらん。獰猛さにも拍車がかかり、あまりひどいと「富士サファリパークに売っちゃうよ!」と叱る。
あとものすごいしゃべる。声は常に張ってる。ガッちゃん並みにすべて食おうとするので気が抜けない。

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