
センス・オブ・ワンダー
人生なんて早く終わってくれ。
人も、自分も、人間の世界もきらい。
意地悪で身勝手で残酷でくだらなくてつまらない。
そもそも私は要らない子だったんだよ。
何もかも失った、と感じていた。また人生で何度目かの自殺念慮。失踪への願い。でももう中年。そんな馬力も出ない。
そういう人間のご多分に漏れず、私はアルコールに浸った。お金がないから毎日安酒を買いにコンビニへ行く。それを恥じる気力すらなくなっていた。いいんだ。このまま。依存症なんていずれ緩やかな自殺だ。それの何がいけない?不要人員が自らを穏便に処刑して何がいけない?逃げる場所…そんなパラダイスがどこにあるのよ。
そうやって意味なくつらつら走る思考をお酒は止めてくれた。それはゲームや、クスリ、万引き、ギャンブル、食べること、果てしない恋愛ごっこのなどの他の依存症と中心構造はまったく同じだ。どこかで眠るように破滅を求めている。それすら分かっていながらもう止めようとも思わない状態の人など沢山いるだろう。
コンビニは家から徒歩3分だった。
毎日同じ道。
私は、急に、飽きた。
今日は別の道を通って帰ってみよう。
単なる気まぐれだった。
階段を昇り駅前のロータリーから続く長いカーブの坂を下りてゆく。
ほんの小さな頃から何度も通った。ここを自転車で駆け降りるのが好きだった。とても見晴らしがよくて…。
ゆるゆる歩みながらふと、足元を見た。
古いアスファルトや壁の目地に、色がある。
コケだ。
それが途中から色が変わっている。
(?)
立ち止まり、じーっと見た。
枯れているのではない。そこからきれいに種類の違うコケに変わっているようなのだ。
コケのことはまるで知らない。
でも待って。
この子たちはいつからここにいるの?
私がこの町に引っ越してきたのは4歳だ。
その時、この坂道はもうあった。
そして、日照りだろうが誰にも水をもらわず栄養ももらわない。世話する者は誰もいない。灼けつく日照りも凍るような冬の夜も、この子たちを守るものは何もない。道路工事が始まれば一挙に「殺されて」しまう。
なぜこんなに立派に繁ってるの?
なぜ何の不満もないの?なぜそんなにきれいなの?
なぜそんなきれいな色?かたち?
私は突如、路上で猛烈に自分を恥じた。
こんなに美しい生きものたち。
誰にも何ももらわず守ってももらわず、自ら満ちているものたち。生も死もつなげて軽々と、いま正に楽しんでいる。人類以前から在った生きもの。
それに比べておのれは何だ。愚痴ばっか言って考え無しに無益な消費ばっかして何も作らずに。それで自分の命まで勝手に終わらせたい?それ、無責任にも程があるよ?
自分をひどくちっぽけに感じた。その自分と比べても無駄だけれどコケたちは変わらず上機嫌に、天を眺めてるように見えた。
道端のコケがそんなふうに見えたのは、初めてだった。
次にコンビニへ行く時、また同じ道を行きたくなった。あの坂へ。
駅への古い階段を登りながらふと気づいて、じーっと見た。
サビ。剥がれた塗料。
誰も直さないの?
あなた、痛くないの?サビって、生きてるの?
何度も昇り降りしたこの階段は、
生きてるの?
私を知ってるの?
ねえ、痛くない?剥がれた、ところ。
小さなものたちの繊細な美。
私は歩くたび、どこででもそれを見つめるようになった。
なんのことはない。幼い頃のそういう感覚、センス・オブ・ワンダーに突如回帰してしまっただけのことだ。そこにはヒトのものでない美と叡智と永性が潜んでいて、輝きほほえみかけてくる。
道端でしゃがみ込んで花や虫を見ていると、とても小さい子やお年寄りと友達になることがある。
私と同じ、「人間の使う時間」を持ってない者たちで、そういう者たちはたいてい素晴らしい観察者だ。
いつの間にか、私の鬱は消えた。またなるかもしれない、という懸念も消えた。というより、あんなつまらない状態になることをまた選ぶほど人生の残り時間は多くはなくなってきている。なら、選択しないだけだ。鬱にならないコツは掴んだ。
厄介な恋人であったT兄と知り合った頃、通常なら…そして過去の悲観的で興奮しやすい私なら大惨事になっていた可能性もある。
でも、それも大丈夫だった。
私は基本的に、花や葉っぱや水や生き物を眺めてると自然治癒してしまうからだ。それらは私の魂をいつの間にか清めた。
今はどんな時にどこへ行けば、あるいは何をすればいいか分かる。昨夜は自分のひきかけの風邪と突発的な肩こり、ここ二日ほど不調だったT兄の背中にウロチョロしてたなんかを払って、治した。
カンタンだし、医療費タダだもんね♪
大鍋いっぱい作ったおでんにも魔法を入れておいたの😉
T兄、え🥰美味しいっていっぱい食べてくれた。楽しんで作ったからかもしれないね。もっといっぱい食べなよ、あったまればいい気持ちでよく眠れるわ。
センス・オブ・ワンダー、蘇った幼い私があの日死にかけていた私を救った。
そればかりか一緒に遊んでと周りを跳ねまわり、そのうち私は三つの女の子に戻ってしまった。
ある程度の学びと不滅の友人たちを胸に秘めて。
3歳の私は、なんでも見たがり面白がり、おっかない人の膝にも平気で飛び乗る子だった。
だからT兄のような一見こわい人も、不思議な格好してるけどすてきだな、優しいひとだよ。でもなんで胸の奥の方で泣いているのかな?と視ただけだった。
3歳のある日。
夜中に起きて一人でトイレに行った。
暗い廊下の突き当たりに、全身真っ白で無毛で性器もない、目がサファイアみたいな青いきれいな色の、しわしわの、背の高い、笑顔が素敵な変なおじちゃんが両手を広げて立っていた。
私はあまりスキンシップや世話をされてなかったので嬉しくなって
「おじちゃんだれー抱っこー!」
と走って行って抱きついた。
そんなことがあった。
あのおじちゃんは多分、私を本当に優しく笑って抱きしめてくれた最初のひとだ。
ヒトでなくても別に良かった。よく憶えている。