川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』を読んで
まず最初に、一頁目を三度も続けて読み返した本は初めてだった。言葉にこれほどの明度があることも初めて知った。夜中の風景にもかかわらず、頭の中をいろいろな光が横切った。
主人公は入江冬子、34歳。自分が人をイライラさせることを知りながら、自分の意見もなかなか言えず、友達もほとんどいない孤独慣れした女性。
高校生のときに同級生からレイプと言える初体験があり、それからは一度もセックスしていない女性。
自ら人生を選択せず、時の流れに身を任せきり、仕事を頑張ってきたことを言い訳してきた女性。
何か行動を起こす(カルチャースクールの見学に行くだけ)ためにはアルコールの力を必要とした女性。
男性が守ってあげたいタイプ? それとも男に騙されやすいタイプ?
冬子は仕事の紹介で、正反対の性格の石川聖と出会う。自由気ままに生きる石川聖に憧れを抱き、飲めなかった酒を覚える。
新しいことへ挑戦したくて、カルチャースクールに通おうと思ったのは、このまま何事もなく歳を取っていくことへの不安からだろうか。結局、スクールには入らなかったが、そこで三束さんと知り合う。
二人は喫茶店で話をするようにはなったが、それからの進展があまりにも遅すぎる。
女性の扱いが苦手な私でさえイライラしてしまうほど、なかなか前に進まない二人。でも、この時間の流れが二人にはピッタリと合っていたのかもしれない。
それにしても読んでいる最中、三束という男性の本性がわからなくなる。純情すぎて、なかなか冬子に自分の気持ちを伝えられない気の小さな男にも見える(昔の自分を見ているようで、「何やってるんだよ」と何度も声に出しそうになった)し、もしかしたらそれはすべて芝居で、実は女性を操るのがうまい男(勘繰りすぎか?)にも見えてくる。
虚無感を感じている人に好きな人ができると、今まで真空地帯だった部分が急に圧迫されるような気になり、鬱状態に陥るときがある。
冬子も自分の駄目なところを三束さんにさらけ出してしまい、それから連絡できなくなる。そこで初めて三束さんに恋していることを意識するのが冬子らしい。
それでも二人の恋はスローモーションに進んでいく。それが読者に見えづらいのは、冬子と三束の二人の光がお互いを吸収しあってできた闇のせいかもしれない。
因みに、三束さんの態度の謎は最後に解ける
小説全体を読めば、グルメリポーターの彦摩呂風に「感覚の玉手箱やー」と言ってしまいそうなほど、光はもちろん、音や触感、舌触りまでが伝わってくる。
書かれた言葉が、自分のまわりにあるすべてのものに光や音や匂いを振りまいている。
読み終えたとき、もう一度一頁目を読んでみた。そこに答はすでに書かれていた。三束さんが純情な男性であることが。
『すべて真夜中の恋人たち』という題名は、光り輝く恋人たちがお互いを吸収しあい、真夜中の闇をたくさん作り出している、ということか?