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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『バランスの極意』
「平和」の反対語は「戦争」である。つまりは戦争があって初めて平和という言葉に意味づけすることができる。戦争がなければ平和などという概念はいらない。
9.11のアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、著者が平和について考え、平和にはバランスが重要なことを首狩り族から学ぶ。
著者は、「私の平和とは私にとっての平和である」と言っている。では、自分にとって平和とは何か考えてみた。
その結果、「心がいつも穏やかな状態」が「平和」だと思った。
その後、著者は「世界の平和とは誰にとっての平和なんだろうか。『みんなの平和』は存在可能か?みんな、こんなに違うのに。みんなの平和は成立するのか」という問題を投げかける。
平和とは何か。それは民族によっても違うし、宗教によっても違う。それどころか人によっても違う。そんな中で「世界平和」というきれいごとの言葉だけが、あたかも常識のように語られている。
「世界戦争」は確かにある。第一次世界大戦、第二次世界大戦と、世界は二回の「世界戦争」を経験した。しかし、その反対語である「世界平和」とは、いったいどうすれば実現できるのか。
敵を殺すために自爆テロを行えば天国で平和に暮らせると考える人と、「心がいつも穏やかな状態」を平和と考える人が、平和を共有することなどできるのか。
著者は首狩り族の社会システムを聞き、平和のためにはバランスの極意が必要なのだと気づく。しかし、どのバランスがいったい一番良いのかまではわからない。
著者は別の部分で、「優しさと厳しさのバランス。たぶん、優しいだけの社会は存在しえない。あるバランスの上に精妙に仕組まれた厳しさのなかで人はやっと優しくなれるのだ」とも書いている。平和だけの社会は存在しえない。戦争があって初めて平和がある、とも読めてしまいそうだが、憎しみや怨みの連鎖を防ぐような社会システムこそがバランスの極意なのだろう。
果たして、人類の叡智は戦争をなくすための社会システムを作れるのか。
今現在も戦争はなくなっていない。それを考えると、残念ながら世界の未来は暗いと言わざるを得ない。