田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『森のイスキアでおむすびを学ぶ』
田口ランディは森のイスキアを言葉では説明しづらいと語っているので、森のイスキアを主宰した佐藤初女さんをウィキペディアで調べてみた。
「佐藤 初女は、日本の福祉活動家、教育者。1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を主宰。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、からだから心の問題も改善していくことができると訴えた。」(一部割愛)とある。
それにしても、田口ランディは初めて出会った人に自分の心の闇を話してしまう。この人を見ていると、自分のすべてをさらけ出せる人は、必ずその人にとって必要な人と出会える運命を持っている、と感じてしまう。
素朴な食べ物は繊細な言葉に似ている。
人の心を優しくし、素直な気持ちにさせてくれる。
人は生を食べることで生かされている。それなのに、人は生を雑に扱い、余れば捨ててしまう。
生を大切にすることで、悩みや問題を抱えた人々を癒やすことができるのは、食べ物の生を通して、自分の生のあり方に思い至るからなのだろう。
「食べるという下世話で日常的なものが、実は聖なるものと繋がっている」。「そして、『食べる』ということを通して多くの人たちと繋がっている」。食べるという行為は人間の根幹の部分どあり、著者は「本当に食べて生きるということがどういうことなのか、それを、自分の子供に伝えたい」と思う。
しかし、著者には母親から教わった経験がなかった。それを聞いて、「娘になりましょう」と簡単に言える佐藤初女という女性の繊細な強さに、著者と同じように、つい涙を流してしまった。
佐藤初女は「お米が息をできるように」握るようにと言っている。息をできるように握ったおむすびは、「決定的に何かが違う」。「息をするおむすびを食べるとき、人間の息も吹きかえす」。それが苦しんでいる人たちを癒やしてくれる。「私以外のものを慈しむことは、自分を愛することと同じなのだ」から。
人は自然の中に生きている。自然と調和することで心落ち着いていられる。現代人はそれを忘れてしまっている。それを忘れて自然を破壊し、人工物の中で生き、ストレスを溜め、心の病を持つ人が増えていく。
お金を貯めて、豪邸に住み、高い車に乗り、高級料理に明け暮れる。そんな生活がいかに虚しく貧しいものかを、佐藤初女は教えてくれる。
食べ物は人間の血となり、肉となり、細胞となる。
これからの人生、食べ物を味わうだけでなく、「この食べ物が私になる」ことを意識し、食べること自体を味わっていきたいと思う。