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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『記憶、過去、そして歴史』

精神障害者が社会復帰する前に、生活習慣に慣れてもらうための作業所を運営しているグループの、トークライブに著者が呼ばれたときの話と、前に住んでいたアパートに行くとそのときに隣の部屋に住んでいた人と偶然会うという話。

作業所に入る精神障害者には記憶がないという。引きこもりのため、遠足や運動会など友達と遊んだ思い出がないのだ。

人間は過去を積み上げて今を生きている。その過去の記憶(として残しておきたいもの)がない人間は、人生を虚しいものとしてしか捉えることはできないだろう。「生きてきて、今、ここに存在する、という統一的な自分を支えているのは、過去の歴史性なんだ」から。

著者はトークライブの後の打ち上げの帰り、偶然、以前住んでいたアパートの近くを歩いていたことに気づき、アパートを訪ねてみることにする。

アパートはすでに取り壊されて、駐車場になっていたが、著者はそこで偶然アパートに住んでいたときの隣人に出会う。

こういった偶然に、どういうわけか田口ランディという人はよく出会う。そういった運命の元に生まれてきたとしか思えない。しかし、これも行動があるからこその出会いなのだろう。ただじっとしていては素敵な出会いなど望めないということだ。

著者は当時隣人を愛していたが、親しい友人止まりで別れてしまう。

ここで焼けぼっくいに火がつくかと思ったが、「愛したことを覚えているけど、それは、再び愛することとは別なんだ。記憶って不思議だなって思った。すべてが蘇っても、すべてではない」と著者は考える。二人で冗談で行こうと言って、結局行かなかったラブホテルに入るが思い出話しながら寝てしまい、朝起きたときには隣人はもういなかった。

あのときこうすれば良かった、こうしていれば今よりもっと幸せになれたかもしれない。誰でもそんなことを考えたことはあるだろう。そんな苦い記憶を過去の一部として背負いながら、人は生きている。

過去を悔いて生きるのではなく、悔いを反省して次に向かうことができれば、人は幸せな人生を歩めるのかもしれない。

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